レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年05月04日
- 登録日時
- 2024/12/25 13:10
- 更新日時
- 2025/02/11 11:43
- 管理番号
- 中央-1-0021785
- 質問
-
未解決
『日本孝子伝』の著者や出版社が異なる理由・背景について
①「佐藤兼助」であったり「日本孝子伝編纂所」であったりと、著者名が異なる形で出版された理由・背景について 。
②同名で作者も同じである書籍において、出版社が異なるという事態が生じた理由や背景について 。
- 回答
-
『日本孝子伝』の成り立ち等、この資料そのものについて記述のある資料は見つからなかったため、明確な回答はできなかった。当時の時代背景から、こうではないか、という推測を紹介した。
出版社を変えて同じ書籍がいくつも出版されていたのは、この『日本孝子伝』が出版されている時期がちょうど1930年代頃の、第二次大戦直前の世界情勢的に不穏な出来事が多発している年代にあたり、全国的に日本独自の「孝」を広めたかった時代背景があるのではないかと考えられる。
以下の資料の冒頭に掲載されている、出版社の刊行趣旨を抜粋して紹介した。
『日本孝子伝』常総新聞社/編 常総新聞社 昭和12年(1937年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1207811(国立国会図書館デジタルコレクション)(最終確認2025.1.28)
29-30コマ
「(前略)今や世潮亦漸く険難の傾向を呈し、一方浮薄功利の風に流れ。他方過激なる統制無視の直輸学説に食傷して我国の伝統的精神を忘却し、いわゆる唯物史観に立脚して、我国体を云為せんとする徒輩の横行するは誠に憂慮すべき事象と謂はねばならぬ。故に之等を萠蘗に艾除して健剛なる国民精神の結成と光輝を期せんが為めには、一に公益的観念を激励し奉仕質実の良風涵養を現下の急務とする。それは単なる理義の検討や、抽象的議論の戯れたるべからずして、現実的事実の提供、易言すれば我が徳行家の美学善業こそ萬巻の経典、富婁那の雄辯にも優る活きたる教訓であり、感化での霊源たるを信ずる。
此の時に方り我社は眼前に展開しつゝある所謂思想困難を直視するに忍びず、内地は勿論朝鮮、台湾、関東州に亘り孝子、節婦、儀僕の功績を蒐録刊行し、汎く江湖諸賢人に推奨するに方り本社の微誠の存する所を諒とせんことを。」
そのほか、全国的に「孝」の思想を広めたい機運があった時代背景について確認できる、回答プロセス○印の資料を紹介した。
なお、著者が異なる理由・背景については、デジタルコレクション版の『日本孝子伝』では、編集兼発行者が佐藤兼助、発行所が日本孝子伝編纂所となっていたため、所蔵している図書館が、編集兼発行者を著者としてデータ登録しているか、発行所を著者としてデータ登録しているかの違いに過ぎないのではないかと推測される。著者はどの本も同じなのではないだろうか。
- 回答プロセス
-
まず『日本孝子伝』が出版されている時期が1930年代頃であり、第二次大戦直前の世界情勢的に不穏な出来事が多発している年代。(満州事変等)
○『親孝行の日本史-道徳と政治の1400年-』勝又基 著 中央公論新社 2021年
p165~196 第七章「軍国主義下の子供たちへ-明治から敗戦まで」
『孝』の考えを取り入れた教育勅語のもと、全国的に日本独自の『孝』を広めたかった時代背景がありそう。
●国立国会図書館デジタルコレクションを見る
・『日本孝子伝』常総新聞社/編 常総新聞社 昭和12年(1937年)
回答に記載
まとめると、「孝」の思想を広めるべくこの本を刊行した、ということになりそう。
○『ふるさとの女たち 大分近代女性史序説』古庄ゆき子/[著] ドメス出版 1975年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12142330(送信サービスで閲覧可能)(最終確認2025.1.28)
17コマ(26-27p)「最後に中国への侵略戦争のはじまる直前の昭和12年5月、この県の一新聞社から『日本孝子伝』なる大部の本が出版されていることを付け加えて記したいと思います。(略)開明派のよっていた新聞社ですが、なぜこのような役割を演じることになったのかという疑問とともに、この県が果たしていた役割をまざまざみせつけられる思いがいたします。」
中略部分に内務大臣、元文部次官、文部省思想局長が序をつけとあり。上記の資料と序文が同じであることがわかる。各地の新聞社に依頼して同じ内容を出版していたのではないか。
●(1)当時の出版状況から探る(今と著作権の考えが異なり、同じ内容の本を出版できた可能性がある。)(2)教育の方向から探る(教育に、たとえば副読本や教材として、『日本孝子伝』が使われていた可能性がある。)、この2つの方向から探してみる。
(1)当時の出版事情から
レファレンス協同データベースで検索する
質問「明治時代以降の日本における出版業界の歴史と変遷を知りたい。」埼玉県立久喜図書館
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000059393(最終確認2025.1.28)
この回答に挙がっている資料を見てみる
×『日本の出版界を築いた人びと』鈴木省三/著 柏書房 1985年
×『日本出版文化史』岡野他家夫/著 原書房 1981年
(2)教育の方向から
・『近代日本の教科書のあゆみ 明治期から現代まで』滋賀大学附属図書館/編著 サンライズ出版 2006年
p16 1874(明治7)年に『近世孝子伝』が修身教科書として使用されている。『日本孝子伝』ではないが、近いものとして。
レファレンス協同データベースで検索する
質問「三重県の孝子伝 ホームページにあげている、第42回ミニ展示の「三重県の孝子伝」をみた。 “万吉”“留松”という名前が紹介されており、明治期の教科書に載っていたという記述を見つけた。 実は、群馬県で発行された『修身説約』という道徳の本にも出てくる人物で、なぜ群馬の教科書に三重の人がでてくるか気になった。 全国的に広まっていたのか。 三重県でのこの人たちの位置づけを知りたい。」三重県立図書館
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000063764 (最終確認2025.1.28)
回答に「国の政策として、全国の孝行話を集め、広めていたそう」とある。『日本孝子伝』がいろいろなところで出版されているのも、こういうことかもしれない。
この回答に挙がっている資料を見てみる
・『日本教科書大系 近代編 第1巻 修身1』 講談社 1978年
p301-320「近世孝子傳」を収録。
p599-600「近世孝子傳」の解説。
×『日本教科書大系 近代編 第2巻 修身2』 講談社 1978年
○『日本教科書大系 近代編 第3巻 修身3』 講談社 1978年
p638-643 第四期国定修身教科書の内容
昭和9年期の改正国定修身教科書についての記述で、次の時代背景が述べられている。
「第一次大戦後の経済恐慌・労働運動の激化・大資本の集中・中国への干渉などが相ついでおこり、政府はその対策として法的な規制と思想善導の運動をも行うこととなった。すなわち大正12年の「國民精神作興ニ關スル詔書」・軍事教練の実施・左翼運動に対する治安維持法の成立・文部省における学生思想善導や進歩的学者の追放などがあった。特に昭和7年満州事変が起こり、わが国は超国家主義に立つ準戦時体制に入ったのである。こうした時代の趨勢は修身教科書においても、国家目的にそう道徳の強化を要求することとなった。」
×『「修身」全資料集成』宮坂宥洪/監修・解題 四季社 2000年
○『江戸時代の孝行者 「孝義録」の世界』菅野則子/著 吉川弘文館 1999年
p3-6 寛政改革の際に、民衆への教化策のひとつとして作られた『孝義録』について説明されている。全国各地から提出された表彰事例を、幕府が整理して刊行したもので、そのねらいは「善行者の行為を民衆の生き方の規範として人びとに示すことにあった」とある。
p213-216 明治、大正、昭和期にも表彰事例を集め刊行する事業が行われており、そのねらいが江戸期の『孝義録』と共通するものが少なくないことが述べられている。『日本孝子伝』の名前は出てこないが、それもこの流れの中にあるものと見なせるのではないか。
●国立国会図書館にレファレンスを依頼する
文書レファレンスの対象外のため調査不可
- 事前調査事項
- NDC
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- 家庭倫理.性倫理 (152 10版)
- 教育課程.学習指導.教科別教育 (375 10版)
- 日本 (281 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 日本孝子伝
- 著者
- 出版社
- 背景
- 佐藤兼助
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000361035