レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年04月21日
- 登録日時
- 2024/05/10 09:59
- 更新日時
- 2025/05/13 14:26
- 管理番号
- 相大-R6-001
- 質問
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解決
平安時代、役人が都から大宰府までどのような経路で赴任していったか知りたい。特に海路についてと、都から出る時にどこから船に乗ったか知りたい。
- 回答
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陸路は「大宰府道」とも言われた山陽道から西海道(社﨑~大宰府)を行った。延喜式の行程では都から大宰府への下りは14日とされていた。
海路は、平安京から淀川沿いの淀津・山崎津などから船で大阪湾の難波津・河尻・大輪田船瀬などに向かい、そのいずれかから瀬戸内海の山陽道沿岸の津を渡る航路をとった。九州は響灘、玄界灘の沿岸沿いの津を渡り、荒津(現福岡市中央区)から大宰府に向かった。延喜式の行程では海路30日とされていた。
- 回答プロセス
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◎古代交通史、平安時代、大宰府関連の棚で資料にあたる。
『体系日本史叢書24 交通史』 豊田 武/編 山川出版社 1985 【s10973303 210.0】
p12 「第一章古代の交通」に七街道図あり。
『完全踏査古代の道 続』 武部健一/著 吉川弘文館 2005 【s24979601 682.1】
p186-205 「1西海道のあらまし、2大路としての大宰府路」に陸路の西海道と大宰府路について記載あり。
『日本地誌19 福岡県九州地方総論』 日本地誌研究所(他)/編 二宮書店 1987 【s05731872 R291】
p7 「図3「延喜式」の駅家と交通路」あり。九州の延喜式官道と駅家(現在の地名)がわかる。
『日本交通史辞典』 丸山雍成/編 吉川弘文館 2003 【s24809329 R682.1】
p418 「山陽道」の項あり。「官道としては、大宰府に通ずるため七道中唯一の大路とされ」との記述あり。
「近世の山陽道」の図あり。瀬戸内海の航路も書かれている。
p510 「瀬戸内海」の項あり。「大化の改新後、都と大宰府の連絡は陸路(大宰府道)が重視されたが、海路の利用も盛んで」との記述あり。
p540 「大宰府道(だざいふどう)」の項あり。「京ー大宰府間の交通路をさす用語」として「山陽道と西海道にまたがる」とあり。
p569 「津」の項あり。「淀川の河口難波津」が「平安時代初期、三国川が開かれて大輪田船瀬がこれに代わった」との記述あり。
『日本歴史地名大系41 福岡県の地名』 平凡社 2004 【s24309072 R291】
p61 「響灘」の項に太宰帥大伴旅人が京に上る際に、従者が海路の船待ちの歌あり。「比治奇の灘(響灘)」とその二首前に「荒津の海」が詠われている。p488の「荒津・荒津庄」(現 福岡市中央区)には、大宰府への津として利用されていたとの記述あり。
p69 「西海道」の項に大宰府路の駅名(現在の地名)あり。
『日本歴史地名大系28 大阪府の地名Ⅰ』 平凡社 1986 【s06528061 R291】
p58⁻59 摂津国の難波津の平安前期・平安中・後期について記載あり。
延暦4年に三国川(現神崎川)と淀川が結ばれた事により、難波津より三国川河口の河尻が栄えた事、「淀(現 京都市伏見区)から江口(現東淀川区)を経由して神崎河尻に至る航路が当時の交通上の大動脈」であったとの記述あり。
『日本古代水上交通史の研究』 松原弘宣/著 吉川弘文館 1985 【s10328482 683】
p208 「図2 5泊と瀬戸内海航路」あり。大阪湾の難波津、河尻泊、大輪田船瀬、神前船瀬から檉泊(むろうのとまり 現 兵庫県たつの市)までの瀬戸内海航路が図示されている。
p259-282 「第三編畿内の津と中央交易圏」に淀川の淀津・山崎津・難波津についての記載あり。
p269 「図3古代畿内の津」あり。
p276 「図5平安時代の水陸交通路」の図あり。
『探訪古代の道 第2巻』 上田正昭/著 法蔵館 1988 【s07282239 682】
p84-90 難波津に関しての記載あり。
『大日本地名辞書 第4巻 増補 西国』 吉田東伍/著 冨山房 1987 【S05969670 R291】
p162 「延喜式云、大宰府行程、上二十七日、下十四日、海路三十日」と記載あり。
◎菅原道真の大宰府配流の経路を調べる
インターネットGoogleで“菅原道真 大宰府”で検索する。
・レファレンス協同データベースで福岡市総合図書館(管理番号2013.12-03)の事例がヒットする。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000141253 (2024.5.10 最終確認)
『菅原道真 西日本人物誌』 佐藤包晴/著 西日本新聞社 1999
p81-85 菅原道真の大宰府配流について記載あり。
p85に推定される大宰府西下経路の簡単な図あり。
◎インターネットGoogleで“古代 都 大宰府 経路”“古代 瀬戸内海 航路”等のキーワードで検索する。
以下のサイトがヒットした。
・「神戸・兵庫の郷土史Web研究館」
郷土史の談話室80に「古代の道「山陽道」等を都から大宰府へ駅家を辿る」があった。延喜式に定められた都から大宰府までの駅家の名称、現在の推定所在地、地図が掲載されていた。
https://kdskenkyu.saloon.jp/tale80daz.htm (2024.5.17 最終確認)
・「愛媛県生涯学習センター データベース『えひめの記憶』 愛媛県史 古代Ⅱ・中世」
瀬戸内海交通のルート、官物輸送のコースなどについて記述あり。
古代では「山陽道沿岸航路が主要航路であった」との記述あり。
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/62/view/7780 (2024.5.19 最終確認)
「図3-2古代の瀬戸内海航路」の説明に(『古代の地方史2山陰・山陽・南海』朝倉書店ーにより、一部加筆)とあり。
同書が当館に所蔵が無いため、神奈川県立図書館OPACにて検索、取り寄せ依頼する。
『古代の地方史2山陰・山陽・南海』 八木 充/編 朝倉書店 1977
p160-161に該当の図あり。
注:【 】は自館の資料コードと請求記号
- 事前調査事項
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菅原道真が大宰府に配流された記録が残っていることは知っている。
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 交通史.事情 (682 10版)
- 参考資料
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- 『体系日本史叢書24 交通史』 豊田 武/編 山川出版社 1985
- 『日本地誌19 福岡県九州地方総論』 日本地誌研究所(他)/編 二宮書店 1987
- 『日本交通史辞典』 丸山雍成/編 吉川弘文館 2003
- 『日本歴史地名大系41 福岡県の地名』 平凡社 2004
- 『日本歴史地名大系28 大阪府の地名Ⅰ』 平凡社 1986
- 『日本古代水上交通史の研究』 松原弘宣/著 吉川弘文館 1985
- 『探訪古代の道 第2巻』 上田正昭/著 法蔵館 1988
- 『古代の地方史2山陰・山陽・南海』 八木 充/編 朝倉書店 1977
- 『大日本地名辞書 第4巻 増補 西国』 吉田東伍/著 冨山房 1987
- キーワード
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- 大宰府
- 海路
- 菅原道真
- 平安時代
- 国司
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000349997