レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/02/15
- 登録日時
- 2023/03/18 00:30
- 更新日時
- 2023/03/18 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-220085
- 質問
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解決
江戸時代初期の仙台藩の武器生産活動がわかる資料がないか。
- 回答
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※【】内は当館の請求記号です。
資料1 宮城県史編纂委員会編『宮城県史 18』宮城県史刊行会, 1959【K201/ミ1/18】
pp.447-467『銃砲術』の項
p.451 「(前略)ともあれ大坂ノ役に於ける伊達家の鉄砲は,『伊達家文書』によると,政宗の各武将の戦力配備に総数三千二百三十挺,旗本鉄砲組を加えて六千挺で,このほかに留守隊保有のものも相当あつたものと思われる。(後略)」
資料2 銃砲史学会編『銃砲史研究』銃砲史学会【P559/シ】
108号「東北地方諸藩保有鉄砲(火縄銃)の製作者たち(三)」
110号「東北地方諸藩保有鉄砲(火縄銃)の製作者たち(四)」
なお,108号には鉄砲の総計の記載がある。
p.17「一〇仙台藩とその鉄砲保有量」の項
「(前略)仙台藩は合戦後百年たった正徳五年(一七一五)に,初めて鉄砲量の現員数調査が行われた。その記録は「軍記秘数」と表題する一冊に書留められた。その総計は八千百六十一挺となっている。その後四十一年目の宝暦六年(一七五六)に再び調査され,「藩秘録」と表題する記録の中に現存する。その時の鉄砲総計は一万五千七百四挺と数えられ,七千五百四十三挺増となっている。(後略)」
資料3 東北歴史博物館編『仙台藩の金と鉄』東北歴史博物館, 2003【K560/2003.7】
p.39「(前略)鉄砲鍛冶は兵具方役人支配のものでも二一家が知られている。」
p.45「仙台藩では多数の火縄銃を備えていた。宝暦六年(一七五六)に幕府巡検使に提出した調書によると,藩内には火縄銃が四二七九六挺あったという。(中略)仙台藩では藩や家中に抱えられた鉄砲鍛冶が従事し,その製品は仙台筒と呼ばれる程の特徴的な火縄銃を製造していた。(中略)確認されている鉄砲鍛冶は六〇家以上で,二二五人を超えている。」
資料4 東和町史編纂委員会編『東和町史』東和町, 1987【K261.3/ト1】
pp.282-284「大阪軍用鉄」の項
「慶長三年三月十五日付で,米谷柴田内家老入間五郎左衛門を通して,大阪城御軍用ならびに鉄砲地鉄として一,六〇〇貫目を狼河原通り米谷へ送るべし,という意味の通達である。米谷の石の鼻(米谷村吉田)まで駄送し,ここから,ひらた舟にのせて二股川を下り,北上川に出て,米谷,柳津を通り,石巻に下っている。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 兵器.軍事工学 (559 9版)
- 参考資料
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- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 18. 宮城県史刊行会, 1959【K201/ミ1/18】:
- 東北歴史博物館/編. 仙台藩の金と鉄. 東北歴史博物館, 2003.7【K560/2003.7】:
- 仙台市教育委員会/編. 仙台市文化財調査報告書 第375集. 仙台市教育委員会, 2010.3【K709.25/セ1-2/イ375-3】:
- 東和町史編纂委員会/編. 東和町史. 東和町, 1987.3【K261.3/ト1】:
- 東北歴史資料館. 東北歴史資料館資料集 1 ( [昭54.3] )-43 (1997). 東北歴史資料館, 1979-1997【PK201/ト】:
- 銃砲史学会∥編. 銃砲史研究. 銃砲史学会, 【P559/シ】:
- 仙台市博物館/編. 武器・武具. 仙台市博物館, 1995.1【K756/セン1995.1】:
- 神山 真浦/著. 鉄と神々. 耕風社, 1990【K564/カ1】:
- キーワード
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- 銃 -- 歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000330645