レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年11月4日
- 登録日時
- 2022/07/13 16:18
- 更新日時
- 2022/11/08 14:46
- 管理番号
- 埼熊-2022-018
- 質問
-
解決
川越を流れる赤間川周辺には、昭和30年頃まで3、4台の水車が立っていた。このことについて記述のある資料を探している。
- 回答
-
以下の資料を紹介した。
『狭山市史 通史編 1』(狭山市編 狭山市 1996)
p719-724「第五節 水車稼ぎの展開」
p720「赤間川の水車業と赤間川断面図」あり。
p721赤間川水車についての記述あり。
『入間川町誌』(入間川町誌編纂委員会編 入間川町誌刊行委員会 1955)
p381-383「(一)水車業」
p382赤間川水車に関連する記述あり。
『荒川 人文3』(埼玉県編 埼玉県 1988)
p579「赤間川 山下かし郎 大正 水車業 水車を営業した」とあり。
『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会[ほか]編 角川書店 1988)
p1061「明治末年には川越から入間川村にかけて12kmに22件の水車小屋があり、明治21年には赤間川水車同業組合が設立され、大正初期まで製粉業が盛んであった」とあり。
『埼玉県新誌 改訂版』(村本達郎著 日本書院 1959)
p99「川越市西部を流れる赤間川流域の水車は、今ではほとんどその影を沒した」とあり。
『城下町・川越の今昔』(松本茂雄えと文 松本茂雄 1967)
p96「川越の北西を流れる赤間川には、山崎、喜多、渡辺、水口と四軒の水車があった」とあり。
『山川水車場調査報告書』(山川水車調査団編 狭山市教育委員会 2006)
p45-52「赤間川とその流域の水車」あり。
p47「赤間川流域の水車一覧」あり。
宮下辰夫著「赤間川用水と郷土生活(其の一」(『武蔵野研究 第1号』p15-18 武蔵野郷土会 1947.12)
赤間川の水車について記述あり。
- 回答プロセス
-
1 自館目録を検索する。
(1)〈狭山 & 水車〉を検索 する。
『山川水車場調査報告書』(山川水車調査団編 狭山市教育委員会 2006)
p47「赤間川流域の水車一覧」あり。「昭和22年宮下辰夫氏の調査メモをもとに作成。」とあり。
p79「参考文献」あり。
(2)〈宮下辰夫〉を検索する。
2 1(1)の参考文献を確認する。
3 《埼玉関係データベース》(https://www.lib.pref.saitama.jp/local/opac/search-detail.do?lang=ja 埼玉県立図書館)を〈赤間川〉で検索する。
『狭山市史 通史編 1』(狭山市 狭山市 1996)
p719-724「第五節 水車稼ぎの展開」
p720に「赤間川の水車業と赤間川断面図」あり。『入間川町誌』より作成」とあり。
4 『入間川町誌』を確認する。
5 川越の新河岸川の資料を確認する。
6 《埼玉県立文書館収蔵資料検索システム》(https://www.i-repository.net/il/meta_pub/G0000069OUDAN)で〈赤間川 & 水車〉を検索する。
3 《Google ブックス》(http://books.google.co.jp/ Google)を〈赤間川 & 水車〉で検索する。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2021年11月4日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 農業工学 (614 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『狭山市史 通史編 1』(狭山市 狭山市 1996)
- 『入間川町誌』(入間川町誌編纂委員会編 入間川町誌刊行委員会 1955)
- 『荒川 人文3』(埼玉県編 埼玉県 1988)
- 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会[ほか]編 角川書店 1988)
- 『埼玉県新誌 改訂版』(村本達郎著 日本書院 1959)
- 『城下町・川越の今昔』(松本茂雄えと文 松本茂雄 1967)
- 『山川水車場調査報告書』(山川水車調査団編 狭山市教育委員会 2006)
- 『武蔵野研究 第1号』(武蔵野郷土会 1947.12)
- キーワード
-
- 水車-埼玉県-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000318752