レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年02月05日
- 登録日時
- 2022/05/24 17:16
- 更新日時
- 2022/10/06 11:59
- 管理番号
- 埼久-2022-014
- 質問
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解決
埼玉県の比企郡について、地名の由来と成立時期を知りたい。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
1 「比企」という地名の由来について
『埼玉県地名誌 名義の研究 改訂新版』(韮塚一三郎著 北辰図書 1977)
p208とp474に比企の地名の由来及び成立時期について記述あり。
『日本地名語源事典』(吉田茂樹著 新人物往来社 1981)
p380「ヒキ(比企)」の項に「「ヒキ(低)」で低地の意とも解されるが、武蔵にはもっと低い土地もあって、低い意とは思えない。「ヒオキ (日置)」を「ヒキ」といったかもしれない。」とあり。
p379「ヒオキ(日置)」の由来について記述あり。
『古代地名語源辞典』(楠原佑介[ほか]編著 東京堂出版 1981)
p262「ひき(比企)」の項に地名の由来について記述あり。
『日本地名ルーツ辞典 歴史と文化を探る』(創拓社 1992)
p225「比企 ヒキ」の項に、「比企の由来は、根岸武香が「比企の言低也。本郡汚下(おか)、多水田、故名」とし、汚下もヒキもともに低地・低湿地をさす。低気の当て字が原意に近い。日置(古代部名)にかかわる語であるともいわれる。」とあり。
『地名語源辞典 続』(山中襄太著 校倉書房 1979)
p161「ひき 比企」の項に、「(前略)ここは頼朝の乳母、比企禅尼(比企判官能員のオバ)が住んでいたところだから、比企谷と呼ばれたのである。」とあり。
2 比企郡の成立時期について
『埼玉大百科事典 4 とち-ま』(埼玉新聞社 埼玉新聞社 1975)
p265「比企郡」の項に「八世紀の初頭には設置されていたらしく、国分寺献進瓦にもその名がみえる。(中略)明治一二年(1879)郡区町村編制法により郡治復活、郡役所は横見郡と一緒にして松山町(現東松山市)におかれた。同二九年、郡の一部(植木村)を入間郡に移し、残部と横見郡の地とを合わせて新しく比企郡がおかれた。」とあり。
『大日本地名辞書 第6巻 坂東』(吉田東伍著 富山房 1990)
p455「明治二十九年、横見郡を合せ、面積凡十八方里、二町二十六村、今人口九万、松山に治す。」とあり。
- 回答プロセス
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1 地域の地名に関する資料を確認する。
『埼玉県地名誌 名義の研究 改訂新版』(韮塚一三郎著 北辰図書 1977)
p208「比企の名義について根岸武香は「比企の言低也。本郡汗下、多水田、古名」と述べているが、吉田東伍博士も「頗る当れるを覚ゆ」と賛意を表している(「地名辞書」)。なお「日本古語辞典」も「ヒキ(低)〔修飾〕ヒ(卑の字音)キ(処)と解説している。「日本の地名」も低い義としている。」とあり。
p474「さらにここで比企郡の比企の意にふれておきたい。比企郡のヒキについて根岸武香氏は土地の低いことから得た群名であるといっているが、「埼玉県史」や鏡味完二氏もヒキを低いと解している(「日本の地名」)。従うべき説である。」とあり。
2 1で調べた『埼玉県地名誌 名義の研究 改訂新版』の本文中に記載された出典を確認する。
3 地名の語源に関する参考図書を調べる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉県地名誌 名義の研究 改訂新版』(韮塚一三郎著 北辰図書 1977)
- 『日本地名語源事典』(吉田茂樹著 新人物往来社 1981) , ISBN 4-404-01050-8
- 『古代地名語源辞典』(楠原佑介[ほか]編著 東京堂出版 1981) , ISBN 4-490-10148-1
- 『日本地名ルーツ辞典 歴史と文化を探る』(創拓社 1992) , ISBN 4-87138-140-4
- 『地名語源辞典 続』(山中襄太著 校倉書房 1979) , ISBN 4-7517-1280-2
- 『埼玉大百科事典 4 とち-ま』(埼玉新聞社 埼玉新聞社 1975)
- 『大日本地名辞書 第6巻 坂東』(吉田東伍著 富山房 1990) , ISBN 4-572-00032-8
- キーワード
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- 比企郡 (埼玉県)
- 埼玉県-地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000316514