レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年2月7日
- 登録日時
- 2024/09/05 17:17
- 更新日時
- 2024/10/07 14:42
- 管理番号
- 中央-1-0021743
- 質問
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未解決
イギリスで団体交渉権と勤労する権利が認められたのはいつか
- 回答
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イギリスにおいて団体交渉権と勤労権が認められたのがいつか、はっきりと明言している資料は見つからなかった。
日本とは違い、労働基本権を法律で積極的に明文規定しているわけではなく、団体交渉などをしても刑法以外で罰されないという形で認められていったため、いつ確立、と言いづらいのかもしれない。
参考として、イギリスにおける労働運動や法の成立について書かれている資料、以下6点を紹介した。
・『現代労働問題』戸塚秀夫/編 徳永重良/編 有斐閣 1977年
・『イギリス労働運動史』浜林正夫/著 学習の友社 2009年
・『イギリス労働法』小宮文人/著 信山社出版 2001年
・『産業合理化と労働組合 イギリス労働運動史の一断面』佐野 稔/著 法政大学出版局 1969年
・『全訳 世界の歴史教科書シリーズ4 イギリス その人々の歴史』 帝国書院 1981年
・『個人か集団か?変わる労働と法』水町勇一郎/編 勁草書房 2006年
- 回答プロセス
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●インターネットで資料を見る。
・江里口拓「ウェッブの労働組合運動改革論と社会立法:「産業民主制論」における「合同」から「連合」への提唱を中心に」『経済論究』92号 p1-29 1995年7月
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/3000104/092_p001.pdf(2024.10.1最終確認)
九州大学学術情報リポジトリで閲覧できる。
p2「実際、ディスレーリーを首班に1874年に政権についた保守党は、1875年に「共謀罪および財産保護法」、「雇主・労働者法」を通過させ団体交渉権を容認し、その他にも、「職工住宅法」,「公衆衛生法」を通過させるなど「トーリー・デモクラシー」と呼ばれる様々な改革を行なった。」
・『労働組合運動の歴史』シドニー・ウェッブ、ベアトリス・ウェッブ/著 [他] 日本労働協会 1973年3月
「イギリスの労働組合の成立ち」(資料1-1)
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000zp5n-att/2r9852000001116b.pdf(2024.10.1最終確認)
p4「1875年に「雇主及び労働者法」が制定され、50年間の立法闘争の後にようやく労働組合による団体交渉が合法化された。」(5.ジャカンタとその盟友たち)
国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(https://warp.da.ndl.go.jp/)で検索するとヒット。第2回労使関係法研究会・議事録(2011年1月26日)」の資料のようだ。
●国立国会図書館デジタルコレクションで資料を見る。(すべて2024.10.1最終確認)
・『労働組合運動の歴史 上』シドニー・ウェッブ, ビアトリス・ウェッブ/著 [他] 日本労働協会 1973年(送信サービスで閲覧可能)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12167494/1/180
p327-328(179-180コマ)
「1867年の主従法は、雇主および労働者法(Employers and Workmen Act――ヴィクトリア・38・39年法律第90号)に代えられたが、この術語の変化は、法律における根本的な変革を表現したものである。(中略)つまり、団体交渉は、いっさいのその必要付帯条件とともに、50年におよぶ立法闘争の後に、やっと国の法律によって、承認されたのである。」
団体交渉権の成立は1875年の「雇主及び労働者法」の制定によるものであるということが分かった。
・『社会科学講座 第6巻』弘文堂編集部/編 弘文堂 1951年(送信サービスで閲覧可能)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2976732/1/102
p195(102コマ)「オウエンが二百萬人の業種別全国労働者を大同団結し、八時間労働制と勤労権の樹立、全生産配給機関の共同管理を主張して支配階級陣営へ大攻勢に出たかの「イギリス労働階級最初の叛乱」といわれた全国労働組合大連合が、政府の大反撃と内部の左右両派の丙??理失敗により半年にしてもろくも潰えて」とあり。
・『現代資本主義と労働法の動態』片岡曻/著 労働旬報社 1977年(送信サービスで閲覧可能)https://dl.ndl.go.jp/pid/11895815/1/
p40(24コマ)~p48(27コマ)イギリス労使関係法と労働基本権の性格
p51(29コマ)~ イギリス労使関係法の成立
p64(36コマ)団体交渉及び労働協約 「団体交渉については、企業ないし工場レベルでの効果的な団体手続を促進する目的で、アメリカの例にならい、交渉単位並びに唯一交渉代表の両制度を採用した。」とある。p52(30コマ)にあるように、それまでは「労働組合活動の自由と免責を保障してきたにとどまり、それ以上に積極的な保護を与えることはなかったのである。(略)「訴えも訴えられもしない労働組合」」ということだったようだ。
・小笠原浩一「世紀転換期イギリスの労働政策」『東京大学経済学研究』10月(30),p58~70,東京大学経済学研究会,1987年(送信サービスで閲覧可能)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2779522/1/31
p59(31コマ)「1983年1月の労働局設置は(略)彼にとって、団体交渉の促進に向けて国家行政機関が介入することは、(略)。「使用者と労働者が協力に組織され、相互にすすんで交渉すること以上に労・使の関係を平和的に定立せしめるものはない」」
p61(32コマ)「団体としての法的責任を伴わない団結活動が現に存在する。こうした状態が続く限り、かかる団体間での労働協約は道義的な拘束力を有する以上のものとはならない。~こうした状況の中で、法の認識対象となりうる労働協約を締結しうるような法人格を労使の団結体に対し付与すべく立法措置をとることが最も効果的な対応策であるという意見も述べられている。」
今までも労働組合が交渉してもよかった(交渉しても罪に問われたりしない)が、それを国として法として認めたのが1896年調停法からかと思われる。
●以前、イギリスのストライキ権について調査した際に見た資料を確認する。
△『イギリス史 3 近現代』 山川出版社 1991年
p174「さらに、労働組合関係の二つの法律、雇主・労働者法と共同謀議・財産保護法が制定された。前者は、従来の主従法を撤廃し、労働者による雇用契約違反を無条件に民事犯とみなすこととし、労働者と資本家との法律上の平等を実現した。後者は、共同謀議罪のなかからストライキを除外し、労働組合のピケット権をも承認した。この両法により、1824年の団結禁止法撤廃以後漸進的に認められてきた労働組合の法的地位が国家により保障され、以後、労働組合は、既存の政治体制内部で一種の圧力団体として機能するようになる。」
×『イギリス労働運動史』浜林正夫/著 学習の友社 2009年
p144「もうひとつ重要な法律は「雇用者と労働者法」という法律で、これは先に述べました1867年の主従法改正を完成させたものです。」とあるのみ。
×『イギリス労働法』小宮文人/著 信山社出版 2001年
p11「1875年不法共謀・財産保護法」しか載っていない。特に団体交渉権についても言及なし。
●イギリスの労働関係の資料を見る。
・『現代労働問題』戸塚秀夫/編 徳永重良/編 有斐閣 1977年
索引に「団体交渉権」の項目あり
p481「1875年には争議のための合意もしくは団結も、一般の犯罪行為でなければ、刑事共謀として訴追されることから免責された。さらに今世紀に入ると平和的なピケッティングの権利と争議行為の損害賠償からの免責が確立された(1906年法)。こうしてイギリスでは労使間の対立・紛争は、公権力の取り締まりによるのではなく、争議権を認めたうえで、労使両当事者の自発的な団体交渉とその妥協結果たる労働協約によって極力解決されるべきであるという基本的処理方式が、他国にさきがけて確立したのである。ただこの国の場合でさえもつぎのことがその限界として指摘されなければならない。すなわち、第一にイギリスの法体系は、団体交渉権、労働協約の法的拘束力などの積極的規定を欠いており、労働組合の法的承認は消極的に規定されたに過ぎない~」
p39、47などにも同じような記述あり。
・『全訳 世界の歴史教科書シリーズ4 イギリス その人々の歴史』 帝国書院 1981年
p191に1871年労働組合法ができた旨の記載あり。
・『世界労働運動の歴史 上』中林賢二郎/著 労働旬報社 1965年
p108「こうしたたたかいの力で、一八六七年には新しい労働組合法が成立し、イギリス労働者はだいたい今日もっているような労働組合の諸権利を獲得したのです。」
・『憲法 Ⅱ 人権』毛利透/著 小泉良幸/著 淺野博宣/著 松本哲治/著 有斐閣 2017年
p370~日本の勤労権についての記載あり。
・『個人か集団か?変わる労働と法』水町勇一郎/編 勁草書房 2006年
p149「実際、伝統的枠組みにおいて労働関係を規律していたのは、法でなく、産業レベルの団体交渉であった。」とある。おそらく日本の法律とは趣が異なるもののようだ。
・『産業合理化と労働組合 イギリス労働運動史の一断面』佐野 稔/著 法政大学出版局 1969年
p12「1871年法によって労働組合の法律上の地位がはじめて承認され、国家による団体交渉制度の消極的承認がなされて、団体交渉制度が実質的に広範に普及するにいたった。しかし、1871年以後においても、なお、多くの使用者は団体交渉権の証人を拒絶したので、労働組合は、第一次世界大戦前にいたるまで、使用者に抗しながら「一職種または一産業ずつ漸次に段階を追って」団体交渉権の確認のために力を注がねばならなかった」
出典とされているのは『労働組合の話』p16-17 コオル/著 大正9年(国立国会図書館デジタルコレクションにあり)
×『イギリス労働組合運動史』ヘンリー・ペリング/著 大前朔郎/訳 東洋経済新報社 1965年
1875年の法律成立はp80あたりに書いてあるが、これをもって団体交渉権が認められたとは書いていない。
×『イギリス労働運動史』A.L.モートン/著 G.テイト/著 古賀良一/訳 法政大学出版局 1970年
×『イギリス労働運動史1~3』G.D.H.コール/[著] 林健太郎/[ほか]訳 岩波書店 1972年
×『世界労働運動の歴史 下』中林賢二郎/著 労働旬報社 1966年
×『現代労働組合論』ルヨ・ブレンターノ/[著] 島崎晴哉/訳 西岡幸泰/訳 日本労働協会 1985年
×『イギリス労働史研究』E.J.ホブズボーム/著 鈴木幹久/訳 永井義雄/訳 ミネルヴァ書房 1998年
×『イギリスの労働者階級』内藤則邦/[著] 東洋経済新報社 1979年
×『パブと労働組合』浜林正夫/著 新日本出版社 2002年
×『イギリス労使関係制度の発展』H.A.クレッグ/著 牧野富夫/[ほか]訳 ミネルヴァ書房 1988年
●インターネットで「勤労する権利」を検索する。
日本では...
・「社会権」の一部として、「勤労の権利」が憲法で保障されている。(広島県公式ホームページの資料より)
・「勤労権」は、基本的人権の一つで、労働権ともいわれる。(コトバンクより)
・「労働権」とは、労働の意思と能力を持つ者が就職できなかった場合に、国に対して労働の機会を与えてくれるように要求できる権利。あるいは、労働の機会を提供してもらえない場合に、生活の維持に必要な金銭を国に要求できる権利のこと。憲法の「勤労の権利」は後者の意味と解されている。しかし、この権利は国に対する具体的な権利として認められたものではなく、国は国民に政治上の義務を負うにとどまる。この規定により、職業安定法や雇用保険法が制定された。(学研サイトより)
・日本では憲法で保障されているが、イギリスではそもそも成文憲法はないようだ。
- 事前調査事項
- NDC
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- 労働経済.労働問題 (366 10版)
- イギリス.英国 (233 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 団体交渉権
- 勤労権
- 労働運動
- イギリス
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000355279