レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/01/07
- 登録日時
- 2024/07/28 00:30
- 更新日時
- 2024/07/28 10:31
- 管理番号
- 0000001574
- 質問
-
未解決
金沢城が建つ前にあったという古墳と、今の県立図書館が建っている小立野近辺に昔は古墳が有ったらしいのだが、それらが分かる本は無いか。
また、金沢市近辺をおさめていた豪族の名前を知りたい。
- 回答
-
①金沢城が建つ前に有ったという古墳について
金沢城の場所に有ったいう古墳について書かれた資料は見当たりませんでした。
(金沢城近辺まではお調べしておりません)
②今の県立図書館が建っている小立野近辺に有ったという古墳について
現在の石川県立図書館は、金沢大学工学部跡地に建っております。
下記資料に、この地に古墳があったという記述がありました。
・回答資料1『さきうら』
P.290-299 「第8章 名所・遺跡・伝説 二、跡地と遺跡」
P.295-296に「崎浦地区遺跡一覧」がございます。
このうち、“崎浦御塚遺跡”が古墳であった、という記載があります。
地目は“金沢大学工学部”とありますので、石川県立図書館が建つ土地で間違いないようです。
参考事項に“数基存在したらしいがすべて消滅”とあります。
P.298-299には遺跡についての説明があり、
“上野練兵場造成工事の時に多くの古墳が壊されたという記録がある。
通称地名として、お塚(上野八幡神社付近)・焼塚・京塚・茶釜山などと呼ばれている。”とあります。
この説明は『日本の古代遺跡四三 石川』によるとあります。
(回答資料2『日本の古代遺跡四三 石川』を確認しましたが、「おもな遺跡さくいん」では見当たりませんでした)
・回答資料3『崎浦郷土史』
P.24-25 「御塚(上野新)」
“上野八幡神社付近を古から御塚と称した。面積は社地以外になお一千三百歩もあり、(中略)
その中央に高さ六間、広さ三百歩あまりの小丘あり、(中略)
付近には数個の小古墳があった。”
・回答資料4『角川日本地名大辞典 17』
P.131 「上野新(うえのしん)」
“かつて地内の上野八幡社付近に御塚と呼ばれる小丘があり、周辺に数基の小古墳があった。(石川郡誌・崎浦郷土史)
のち一部は、金沢高等工業学校(現金沢大学工学部)の敷地となり、崎浦御塚遺跡と称している。”とあり。
・回答資料5『石川県石川郡史』
P.1105 「御塚」の記載があります。記載内容は『崎浦郷土史』『角川日本地名大辞典 17』と似通るため省略します。
・回答資料6 浅香年木「道氏に関する一試考」『古代学』古代学協会,p.87-109,1972.3
p.95 “第1図 道氏・味知郷関係の地名と遺跡” に“崎浦古墳群”と記されています。
p.102 “山崎丘陵(金沢市中央部の金沢城跡と小立野台地一帯)において、(中略)これらの古墳群を金沢古墳群の名で一括されることは妥当と思う。”とありますが、詳しい記述はありませんでした。
p.108 注58には、“山崎丘陵には、円墳5~6基から成っていたとされる崎浦御塚古墳群の存在が伝えられている”とあり、“『石川県石川郡誌』によれば”とあります。
『石川県石川郡誌』の記述について、一部誤りではという指摘もされていました。
→回答資料7 『白山信仰』
→回答資料8 『古代地域史の研究』
にも、回答資料6と同じ論文 浅香年木「道氏に関する一試考」が収録されています。
③金沢市近辺をおさめていた豪族について
下記資料に金沢市近辺は道氏(道君)が治めていた、という記述がありました。
・回答資料2『日本の古代遺跡四三 石川』
p.181-219 「第六章 道君一族の拠点 金沢・石川地域」
・回答資料8 『古代地域史の研究』
・回答資料9 『北陸の古墳時代をさぐる 能美古墳群』
P.86 北加賀との比較
“北加賀には能美地域のようなまとまりのある古墳群の集中が認められず、古墳の築造があまり活発ではない。
その一方で、後の律令期には「道君(みちのきみ)」とよばれる氏族が権勢を誇っており、『日本書紀』には、道君が天皇と偽って高句麗の貢ぎ物を自分のものとして、それを江沼国造が倭王権に知らせたとの記述がある。
(中略)
古墳の築造が倭王権との結びつきを示すものであるとすれば、北加賀は王権との関係性が弱く、また後の文献からみれば王権にはやや反抗的な地域であったともみてとれる。”
・回答資料10 『北陸古代王朝の謎 』
P.198~ 「地方豪族の朝廷服属のあかし」
「越の道の君伊羅都売」に道君について記載があります。
・回答資料11 『能登・加賀立国と地域社会』
P.23~ 「第一章 ヤマト王権とコシ」
P.35~ 「コシ国造と道君」に道君について詳しく記載されています。
また、道君については当館の検索サイトSHOSHO ISHIKAWAでも紹介されています。
https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/furucolle/list/prsn15445
(2023/1/17確認)
- 回答プロセス
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小立野近辺ということで『さきうら』『崎浦郷土史』を確認。
昔の地名が「上野新」とわかったため、『角川日本地名大辞典 17』を確認。
それぞれの資料記載の典拠資料を確認。
- 事前調査事項
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歴史博物館でも聞いみたが、図書館に行けば分かると言われたそう。
- NDC
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- 歴史補助学 (202 9版)
- 参考資料
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- 1 さきうら 高田 慈久∥編集 金沢市崎浦公民館 2002.5 K222/1017 p.290-299
- 2 日本の古代遺跡 43 保育社 1990.2 K202.5/297
- 3 崎浦郷土史 北田 八州治∥編 崎浦農業協同組合 1971 K222/52 p.24-25
- 4 角川日本地名大辞典 17 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1981.7 K290.3/228 p.131
- 5 石川県石川郡誌 石川郡自治協会∥編 臨川書店 1985.10 K223/66
- 6 古代学 / 古代学協会 [編] 第18巻第2号通巻71号 古代学協会 古代學協會 1952?1972 /20/コダ p.87-109 「道氏に関する一試考」
- 7 白山信仰 下出 積与∥編 雄山閣 1986.5 K163/5 p.171-202 「道氏に関する一試考」
- 8 古代地域史の研究 浅香/年木?著 法政大学出版局 1978 K209.3/1/1 p.128-162 「道氏に関する一試考」
- 0 北陸の古代史 橋本 澄夫∥著 中日新聞北陸本社 1974 K202.5/45
- 0 石川県の古墳 森 栄松∥著 森栄松 K202.5/86
- 0 北陸の古墳時代をさぐる 能美古墳群 菅原/雄一?著 新泉社 2022.7 K202.5/1783
- 0 北陸古代王朝の謎 能坂 利雄∥著 新人物往来社 1982.1 K209.3/4
- 0 能登・加賀立国と地域社会 森田/喜久男?著 同成社 2021.4 K209.3/1008
- キーワード
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- 崎浦
- 崎浦御塚遺跡
- 崎浦古墳群
- 崎浦御塚古墳群
- 御塚
- 金沢古墳群
- 上野新
- 山崎丘陵
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000353704