レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/12/22
- 登録日時
- 2024/07/28 00:30
- 更新日時
- 2024/07/28 10:25
- 管理番号
- 0000001569
- 質問
-
未解決
1.『小坂のあゆみ 小坂郷土史』p23
『加賀古跡志』に、天正年間、佐久間盛政が尾山城を治めていた時、市中を拡めるため小坂村を浅野川の以北の大樋口へ移転した(加賀古跡志)。
とあるが、「小坂村」がこの辺りに移転したという事実を確認できない。『加賀古跡志』とは何か?確認できるか?
2.小坂村が移転するころ郷としては田上郷だったのか玉鉾郷だったのか?それにより、小坂神社が野間神社であったかどうかが推定できる。
- 回答
-
1-(1) 『石川県河北郡誌』には出典は明記されていませんが、『小坂のあゆみ』と同じ記述があります。
1-(2) 『金沢古蹟志 上巻』には「小坂村は金澤の府下広がりし時追ひ出され、今大樋口なる小坂村の地へ移転せしよし云ひ伝へたり。但し其の年暦は旧記に所見なし。」(p431)とあります。
1-(3) 『金沢市史 資料編2』の佐久間盛政に関する記述には「小坂村を浅野川の以北の大樋口へ移転した」ということは書かれておりませんでした。
1-(4) レファレンス協同データベースに「出典は「加賀古跡誌」(所在不明)」(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000190205)とあります。
以上より、『加賀古跡志』の現存を確認できないながらも、それを典拠とした移転を記した書籍が流布していること。
一方で、移転の時期を不明としている書籍があり、移転したとされる佐久間盛政の事績にそれが含まれていないことが確認できます。
そのため、現時点で確認できる資料からは、いつ誰が移転をしたのかを明言できないのではないかと思われます。
2. 小坂村が移転するころ郷としては田上郷だったのか玉鉾郷だったのかを明らかにした資料は見つかりませんでしたが、小坂神社と野間神社については『石川県河北郡誌』に詳しい記載がありますので一度ご確認いただければと思います。
また小坂神社については『角川日本地名大辞典 17』p376、『石川県の地名』p519、『稿本金沢市史 社寺編』p103-107に、野間神社は『石川県の地名』p520、『玉鉾町史』p158-164にも記載があります。
- 回答プロセス
-
1.『加能郷土辞彙』で「加賀古跡考」という資料を確認→所蔵館を館内外のOPACで検索したが見つからなかった。
2.「加賀古跡志」で国立国会図書館サーチで検索したところ金沢市立図書館のレファレンス事例が見つかり(所在不明)と書かれていた。
3.郷土資料の棚で『河北郡誌』、『加賀志徴』『改作所旧記』を確認。
- 事前調査事項
-
田中『城下町金沢 封建制下の都市計画と町人社会』p7
『金沢古蹟志』
- NDC
-
- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
-
- 1 石川県河北郡誌 石川県河北郡役所∥編 臨川書店 1985.10 K221/25 p444-449,464-465
-
2 金沢古蹟志 上巻 森田 平次∥著 日置 謙∥校 歴史図書社 1976 K222/64/1 p431-433 -
3 金沢市史 資料編2 金沢市史編さん委員会?編集 金沢市 2001.3 K222/125/2-2 p463-507 -
4 角川日本地名大辞典 17 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1981.7 K290.3/228 p376 -
5 石川県の地名 平凡社∥[編] 平凡社 1991.9 K290.3/309 p519-520 -
6 稿本金沢市史 社寺編 金沢市∥編 名著出版 1973 K222/37/7 p103-107 -
7 玉鉾町史 金沢市玉鉾町史編集委員会∥編 金沢市玉鉾三丁目町内会 1983.7 K222/1074 p158-164
- キーワード
-
- 小坂村
- 金沢古跡志
- 小坂神社
- 野間神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000353699