レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月07日
- 登録日時
- 2021/10/07 16:01
- 更新日時
- 2024/10/24 10:52
- 管理番号
- 小野03-068
- 質問
-
未解決
1.兵庫県小野市来住町(きしちょう)にある来住城跡の歴史について知りたい。
2.下来住町にある鍬渓神社と来住城に関係はあったのか。
3.喜始(きし)という苗字の由来について知りたい。
- 回答
-
1.来住城跡の歴史について
①『加東郡誌』p.842~843
「播磨鑑」「播州古城軍記」「播陽古城記」「来住校報告」からの引用によると、
・来住城の領主は清和源氏を先祖に持つ来住安藝守景政、その嫡子景利であり、三木城に籠った。
・子孫の来住文右衛門の弟は源三郎といい、百姓だった。
②『三木合戦』p.29
三木合戦で三木方の侍大将として来住を守備した景政が、戦火が静まった後、その軍図を菩提寺に奉納した。
2.来住城と鍬渓神社との関係
①『はりまおの 小野市拾遣』好古館/兵庫県立図書館所蔵 p.57~58
来住領主の源唯支が鍬渓神社の神事を再興し、子孫代々受け継ぐ。
②『加東郡誌』p.566~568
領主赤松範景、来住惟友、来住景政、松平清匡、その他の武将は鍬渓神社への崇敬が厚かった。
3.喜始という苗字の由来
①『小野市絵図集』p.154
「種記写」によれば、赤松春政の子孫が大和郡山から来住村に引退し、来住文右衛文と改名した。
②『歴史の散歩道』p.27
来住城の領主の子孫は姫路恵光寺の住職となる。
【インターネット】
「日本姓氏語源辞典」より
・来住 https://name-power.net/fn/%E6%9D%A5%E4%BD%8F.html
・喜始 https://name-power.net/fn/%E5%96%9C%E5%A7%8B.html
(最終確認:2021/10/07)
- 回答プロセス
-
①人名に関する資料を調べたが、来住に関する記載はなかった。
『姓氏家系大辞典』
『日本人名大辞典』
②市史・郡誌を中心に郷土資料を調べた。
『戦国合戦大事典』三木合戦についての記載はあるが、来住城領主に関する記載はなかった。
- 事前調査事項
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・インターネットで来住城跡の歴史について調査済み。文献を見たいとのこと。
・市役所で戸籍を4代前まで確認済み。全て「喜始」だった。
・家族から、三木合戦後に姓が「来住」から「喜始」に変わったことを聞いていた。
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 日本 (291)
- 系譜.家史.皇室 (288)
- 参考資料
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加東郡教育会 編 , 加東郡教育会. 加東郡誌. 加東郡教育会, 1923.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000590403-00 - 福本 錦嶺. 探訪 三木合戦. 三木観光協会, 1997年. (当館請求記号 2164, 当館資料番号 10090249)
- 小林 幹久. 歴史の散歩道 河合来住下東条編. 1989年. (当館請求記号 2916, 当館資料番号 18005330)
- 小野市. 小野市絵図集 本編. 小野市, 2010年. (当館請求記号 2164, 当館資料番号 18186593)
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加東郡教育会 編 , 加東郡教育会. 加東郡誌. 加東郡教育会, 1923.
- キーワード
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- 小野市
- 加東郡
- 来住城
- 鍬渓神社
- 三木合戦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000305744