レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/04/26
- 登録日時
- 2011/12/22 02:00
- 更新日時
- 2024/01/15 13:53
- 管理番号
- 横浜市中央1463
- 質問
-
解決
明治・大正時代に繁栄した増田増蔵氏の「増田屋」について当時の様子とその後について調べています。
- 回答
-
下記の資料およびインターネットサイトをご紹介いたします。
1 論文
「松尾工業株式会社の成立と発展」 Artes liberales, 第40号, p. 103 - 121, 1987
岩手大学のリポジトリで論文本文が閲覧できます。
(https://iwate-u.repo.nii.ac.jp/record/13677/files/al-no40p103-121.pdf)
この論文のp.4-8より該当箇所をご紹介します。
増田嘉兵衛氏が増田屋を設立して、息子の増田増蔵氏が家督を引き継ぎ、事業を展開する様子が
記載されています。
増田製糖所を設立し、更には阿部幸兵衛との横浜精糖株式会社設立、神戸への増田製粉所の
設立、石油についてはスタンダード株式会社設立等、増田合名会社、増田貿易株式会社として
繁栄するが、1920年の第1次大戦後に恐慌で打撃をうけ解散したとあります。
また、一部、のちに若干の増田系企業が再興したともあります。
2 当館所蔵資料
(1)『開港五十年紀念横浜成功名誉鑑』森田忠吉/編 横浜商況新報社 1910年
(復刻 明治後期産業発達史資料 第748巻 龍渓書舎 2005年)
(2)『京浜実業家名鑑』京浜実業新報社/編 京浜実業新報社 1907年
(3)『横浜開港五十年史 下巻』肥塚龍/著 横浜商業会議所 1909年
(4)『増田屋商報 1899.12-1913.10』
(1)~(3)には増田増蔵氏や増田屋商店、横浜精糖株式会社などについて解説があります。
(4)には当時の繁栄ぶりが報告されています。
これらの資料によると、増田増蔵氏は、神奈川県会議員、横浜市会議員に当選し、
横浜商業会議所常任委員などにも当たったそうです。また、日露戦没後後援事業に殊功があり、
勲六等、瑞宝章を与えられ、1943年7月に亡くなったそうです。
(1)~(4)の資料は横浜市立図書館のデジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」でご覧いただけます。
(https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/)
上記の書名で検索していただき、「本体PDF」を選択すると本文をご覧いただくことができます。
3 設立した会社の詳細
(1)横浜精糖株式会社
大日本明治製糖株式会社ホームページの「大日本明治製糖株式会社のあゆみ」のページ
(https://www.dmsugar.co.jp/company/c_history.html)で明治製糖に合併されたと記載
があります。当館所蔵の『明治製糖株式会社三十年史』(明治製糖株式会社/編 明治製糖東京
事務所 1936年)にもその旨が記載されています。
(2)増田製粉所
これは現存している企業であり、有価証券報告書等の開示書類を閲覧するホームページEDINET
(https://disclosure2.edinet-fsa.go.jp/WEEK0010.aspx)で検索すると、会社の概要が確認できます。
(Web最終確認日 令和6年1月8日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 8版)
- 広告.宣伝 (674 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000098606