レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年10月19日
- 登録日時
- 2025/09/24 11:17
- 更新日時
- 2025/11/27 15:30
- 管理番号
- 9000045327
- 質問
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解決
甲府の「煮貝」の歴史についての資料を教えてほしい。
1970年代には特産品として売られていた記憶がある。
また、「煮貝」の貝は伊豆、駿河地域から運ばれたかと思う。
- 回答
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「煮貝」の由来については、次のとおり諸説があり特定できない。
・江戸時代末期、沼津港の魚問屋の主人が伊豆七島産のなまアワビを上質のしょうゆで加工し、たる詰めにして甲州へ送り込んだ。
・「みな与」の六代目・藤右衛門が、それまで塩漬けにして運ばれていた鮑を、より生に近い風味で食べられるよう、伊豆の網元と協力して開発した。
・幕末に近いころ、伊豆の海産物を甲斐へ売り捌いていた南伊豆出身の吉田豊蔵が考案した。
・「駿河に進出した信玄が軍用保存食として着目した」「小田原・北条家が武田家に贈った」などの信玄説。
・「煮貝」という呼び方については、奈良時代「贄(にえ)」として進上されていた「貝」すなわち「贄貝」と呼ばれていたものが、後に「煮貝」となり、江戸時代に入り語りつがれてきた食品加工の方法が再現され、あわびの加工工程の性格から「煮貝」と命名された。
その他、参考資料をご確認ください。
- 回答プロセス
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1.『山梨百科事典』を確認。
・『山梨百科事典』(山梨日日新聞社/編集・発行 1989年) p.706「煮貝」の項には、「江戸時代の末期、静岡県沼津港の魚問屋小松屋の主人が伊豆七島産のなまアワビを上質のしょうゆで加工し、たる詰めにして人の肩や馬の背につけ、海に遠い山国甲州へ送り込んだのが初めといわれ、山坂道をコトコト揺られて甲府へ着くころが最上の食べごろとなり、これを甲府勤番の武士や文人墨客が“江戸にない味覚”と賞美、甲州土産として江戸へもたらしたことから甲州名物となった」とある。
2.山梨県の食文化の資料を調査。
・『日本の食生活全集 19 聞き書 山梨の食事』(農山漁村文化協会 1990年) p.57「甲府盆地の特産品」、『郷土料理とおいしい旅 9』(朝日新聞社 1984年)p.15にも、『山梨百科事典』と同じ説が掲載されている。
・『甲州食べもの紀行:山国の豊かな食文化』(山梨県立博物館/編集・発行 2008年)pp.30-31「甲州名物鮑の煮貝」の項では、煮貝の由来については、上記『山梨百科事典』の記述のほか、「また一説には「みな与」の六代目、藤右衛門がそれまで塩漬けにして運ばれていた鮑をより生に近い風味で食べられるよう、伊豆の網元と協力して開発したといわれる。共に加工法を考案したのは南伊豆・下流の浦請人、吉田豊蔵という人であったとの伝承もある」とある。また、「県内の史料では笛吹市石和町、篠原家に伝わった『御用其外日記』(文政十二年・一八二九)の「尓加以」が最も古いが、どのような食品であったかは定かでない。」「弘化三年(一八四六)の「林鶴梁日記」には煮鮑や生鮑の塩漬けの記録があり、(中略)現在のような醤油を使った煮貝であったと想定される。」とある。
・上記の説は、『甲斐路ふるさとの特産 ふるさと自慢シリーズ 2』(山梨日日新聞社 1986年)p.60、『やまなし味ところどころ』(山梨栄養学園 1986年)p.13にも記述あり。
・また、「みな与」については、『関東名産探訪』(河出書房新社 1973年)pp.182-183に、「先祖は、武田信玄の家臣で、のちに、徳川家康に仕えた。が、すぐにやめて百姓になった。間もなくして、伊兵衛のとき、甲府に出て魚町(中略)に店を構え、魚屋を開業した。」と説明がある。
・「煮貝」という呼び方については、「峡南の郷土」第28集(峡南郷土研究会 1988年)pp.44-47に、奈良時代「『煮貝』は初めは『贄』として進上さ[れ]た『貝』すなわち『贄貝』と呼ばれていたものが、時代が下がって後に『煮貝』となったのではないかと考える。(中略)江戸時代に入り(中略)話しつがれてきた食品加工の方法が再現され『あわび』の加工工程の性格から『煮貝』と命名され一般の人にも供される様になったものではないだろうか。」という記述がある。
3.国立国会図書館デジタルコレクションで調査。
・キーワード「煮貝 山梨」で検索。「泉秀樹の日本紀行17 鮑街道」泉秀樹(「逓信協会雑誌 6月 通巻1021号」逓信協会 1996年6月)には、煮貝の由来については「諸説あってよくわからない。」「まず、煮貝は駿河湾でとれた鮑を蒸すか、あるいは生きたまま生醤油に漬けこんで熊笹の葉につつみ、椹の樽に詰めて運んだことにはじまるといわれ、信玄説が最も好まれている。」として、「駿河に進出した信玄が軍用保存食として着目した」「小田原・北条家が武田家に贈った」「幕末に近いころになってから伊豆の海産物を甲斐へ売り捌いていた南伊豆出身の吉田豊蔵という人物が考案したというのが信頼できる説であるともいい、要は諸説あって特定できない。」とある。
※国立国会図書館デジタルコレクション(送信サービス)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2777305/1/30
4.インターネットでの調査。
・キーワード「山梨 食文化」でもまだ範囲が広いので、「甲府 食文化」で検索。「『甲府買物独案内』にみられる甲府の食文化 その3」樋口千鶴ほか(「山梨学院短期大学研究紀要 第41号」2021年3月)に、「湊屋与八」(現在のみな与)について書かれている。参照されている資料『甲府街史』(中丸真治/共著 山梨日日新聞社出版局 1995年)には、 p.224に「みな与」の歴史について書かれている。
※山梨学院リポジトリ
https://ygu.repo.nii.ac.jp/records/3859
・現在、山梨県内で煮貝を製造している会社のウェブサイトにも煮貝の歴史について書かれている。
有限会社 みな与商事 https://minayo.co.jp/
株式会社 かいや https://www.the-kaiya.jp/
株式会社 信玄食品 https://shingen-foods.com/
※各webページへの最終アクセス2025.8.13
- 事前調査事項
- NDC
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- 風俗習慣.民俗学.民族学 (380 10版)
- 食品.料理 (596 10版)
- 参考資料
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山梨日日新聞社 編. 山梨百科事典 増補改訂版. 山梨日日新聞社, 1989.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008014791 (p.706) -
日本の食生活全集 19. 農山漁村文化協会, 1990.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002073486 , ISBN 4-540-90008-0 (p.57) -
山梨県立博物館 編. 甲州食べもの紀行 : 山国の豊かな食文化. 山梨県立博物館, 2008.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010690429 (pp.30-31) -
朝日新聞社 編. 郷土料理とおいしい旅 9 (山梨・長野・岐阜). 朝日新聞社, 1984.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001702856 , ISBN 4-02-330159-0 (p.15) -
宍倉恒孝 著. 関東名産探訪. 河出書房新社, 1973.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001172304 (pp.182-183) -
山梨県編. 甲斐路ふるさとの特産. 山梨日日新聞社, 1983.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1970304959913857692 (p.60) -
古山 登茂代/編. やまなし味ところどころ. 山梨栄養学園, 1986.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I19111009210185473 (p.13) - 峡南郷土研究会. 峡南の郷土 第28集 (pp.44-47 山梨県立図書館 資料番号 0200277184)
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中丸真治, 楠裕次 共著. 甲府街史. 山梨日日新聞社出版局, 1995.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002552334 , ISBN 4-89710-999-X (p.224)
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山梨日日新聞社 編. 山梨百科事典 増補改訂版. 山梨日日新聞社, 1989.
- キーワード
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- 煮貝
- アワビ
- 郷土料理
- 食文化
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000374479