レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年05月30日
- 登録日時
- 2023/12/28 11:41
- 更新日時
- 2024/11/29 14:50
- 管理番号
- 福郷-206
- 質問
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解決
現在の北九州若松区で、万延元(1860)年に起きたとされる畠田騒動(島郷騒動)について知りたい。
- 回答
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◆参考資料1『北九州市史』近世
「第四章 農村窮乏の深化」「第二節 福岡藩天保の改革と安政の改革」中p.486-491に「(三)畠田騒動」がある。
「万延元年(一八六〇)十二月に現若松区で起こった騒動は一揆の一歩手前ともいえるもので、『畠田騒動』、または『島郷騒動』と呼ばれている。」とある。
「騒動の発端と経過」の項では、大雨・洪水、夏中の雨により村々で食糧不足が懸念されたこと、食糧確保案や御救渡を提案したが大庄屋が同意しなかったこと、花房城跡に農民約500人が屯集、畠田村役場に4村の庄屋が参集したことなどが記されている。
「要求と回答」の項では、花房山の農民たちの要求六か条及び大庄屋佐藤又三郎と仰木廉助の回答が記されている。
「事後処理」の項では、両大庄屋から郡代役所に報告書が提出されたこと、関連の大庄屋、庄屋及び首謀者と目される者の賞罰について記されている。
◆参考資料2『若松市史』第2集
「第三編 近世」「第二章 江戸時代」中p.258-263に「二十一 万延の島郷騒動」がある。
p.258に「この年は非常な凶作で、貧しい農民達はかねて拝借していた蟹住小島社倉の現穀米の返済に窮し」「返納期限も翌日に迫つた万延元年十二月四日の夕方、蟹住触西十二ヵ村(中略)の百姓五百余人が、畠田村内や小竹村の白山に集り、(中略)御救い金と現穀米拝借のことについて、大庄屋久五郎が世話をしないと騒ぎじはじめた」「これをきき伝えた本城村の大庄屋佐藤又三郎、別府村の大庄屋仰木廉助が馳けつけて取り鎮め、触内の庄屋達も間に入つて、農民達をやつと解散させることができた」とある。
また、取り調べを受けた百姓の口上書や、庄屋、大庄屋の処遇に関する文書が翻刻され、掲載されている。
◆参考資料3『若松市史』
「第五章 松井家記録」中p.555-556に「第五十三節 万延元年蜑住村触百姓騒擾」がある。
「島田騒動」とは記されていないが、参考資料2と類似の記述がある。
◆参考資料4『年表 近世遠賀川流域史稿』
p.101の「一八六十 万延元」に「十二月四日蜑住触西十二ヶ村百姓一揆」の項がある。
「島田騒動」とは記されていないが、参考資料2と類似の記述がある。
◆参考資料5『角川地名大辞典』40福岡県
p.120に「あますみ 蜑住<若松区>」「〔近世〕蜑住村」の項がある。
参考資料2と類似の記述がある。
- 回答プロセス
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自治体史で「畠田騒動」を調べた。「蜑住村」という地名が出てきたので地名辞典で調べた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219 10版)
- 参考資料
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- 1 北九州市史 近世 北九州市史編さん委員会/編集 北九州市 1990.12 (p.486-491)
- 2 若松市史 第2集 若松市史第二集編纂委員会/編 若松市役所 1959 (p.258-263)
- 3 若松市史 福岡県若松市役所/編纂 若松市(福岡県) 1937.12 (p.555-556)
- 4 年表近世遠賀川流域史稿 水口 孝行/[著] 水口孝行 [1975] (p.101)
- 5 角川日本地名大辞典 40 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1988.3 (p.120)
- キーワード
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- 福岡 北九州 一揆 騒動 騒擾 畠田騒動 島郷騒動 蜑住 仰木廉助 佐藤又三郎 仰木文書 佐藤文書
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000344137