レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年08月03日
- 登録日時
- 2025/02/24 13:57
- 更新日時
- 2025/02/24 13:57
- 管理番号
- 0000003013
- 質問
-
解決
朝倉氏滅亡後、明智光秀の代官として北ノ庄に置かれた、三沢少兵衛(尉)秀次に関する古文書や論文その他の文献があればお教えください。
- 回答
-
当館で確認することができた関連資料は以下の通りです。
(1)南条郡教育会 編纂『福井県南条郡誌』,名著出版,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/9536262/1/467 (送信サービスで閲覧可能)
『橋本文書』の中に三澤少兵衛尉の記載あり。
(2)『若越郷土研究』27(6)(157),福井県郷土誌懇談会,1982-12. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/6072907/1/1 (送信サービスで閲覧可能)
「織田信長の第一次越前支配(一)」
(3)『若越郷土研究』28(2)(159),福井県郷土誌懇談会,1983-03. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/6072909/1/5 (送信サービスで閲覧可能)
「織田信長の第一次越前支配(二)」
(2)(3)ともに三沢→小沢に間違えていると思われる箇所あり
【その他の参考資料】
(4)谷口克広∥著. 織田信長家臣人名辞典. 吉川弘文館, 2010.11.p457
三沢秀次の名前で掲載あり。
下記資料には記載なし。
(5)藤居正規∥著. 朝倉始末記. 勉誠社, 1994.6:p197~203
(6)佐野光臣∥著. 現代語訳越州軍記. 佐野光臣, 2009.10:p40
(5)(6)ともに三沢少兵衛ではなく、明智光秀が北庄三人衆として登場する。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000363418