レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年05月01日
- 登録日時
- 2011/02/15 12:20
- 更新日時
- 2011/02/15 12:20
- 管理番号
- 9000006377
- 質問
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解決
天保騒動の時に襲撃された、熊野堂村奥右衛門の姓を知りたい。
- 回答
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小川奥右衛門である。熊野堂村は江戸時代から明治7年の村名で、現在の笛吹市春日居町にあり、現在も大字として地名が残っている
- 回答プロセス
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1.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編 山梨日日新聞社 1989年)で「熊野堂」の項目を見ると「春日居町」「1836(天保7)年の郡内騒動の際に攻撃目標となった奥右衛門家は、東郡随一の地主で豪商として知られた」との記載があるが、姓は不明
2.『角川日本地名大辞典』19巻(山梨県)(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984年で「熊野堂」の項目を見ると、「〔近世〕熊野堂村 江戸期~明治7年の村名」とあり「天保7年の甲州天保騒動(郡内騒動)の際、蜂起した一揆勢の攻撃目標となった奥右衛門家は、東郡随一の地主で米穀売買と質業を営んだ豪商であった」との記載があるが、姓は不明。
3.『春日居町誌』(春日居町誌編集委員会編 春日居町 1988年)、『東山梨郡誌』(山梨教育会編
山梨教育会東山梨支会 1916年)等にあたると、奥右衛門の名は出てくるが姓は不明。
4.自館システムで「奥右衛門」で書名検索すると、甲州文庫の「蚕種製造人小川奥右衛門印」(印鑑)の書誌データがヒット。
5.当館HPの「甲州文庫デジタルアーカイブ」を検索すると、「蚕種製造人小川奥右衛門印(サンシュセイゾウニンオガワオクエモンイン)」がヒット。解説には「山梨郡熊野堂村(現在の春日居町)で蚕種の製造業を営んでいた小川奥右衛門の印である。糸繭のほか、酒造・米穀・質屋なども営む甲斐有数の富農であったが、郡内への米の供給を行っていた奥右衛門は凶作だった天保7年(1836)に、米穀を売り惜しんで価格を釣り上げ、郡内への米の出荷を止めてしまった。これに腹を立てた郡内の農民が決起して奥右衛門宅を襲撃し、甲斐一国規模の天保騒動となったのである」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 山梨県立図書館webサイト「甲州文庫資料検索システム」(http://www.lib.pref.yamanashi.jp/kosyu/search/ )
- キーワード
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- 小川奥右衛門
- 熊野堂村
- 天保騒動
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 甲州文庫資料は、平成17年に山梨県立博物館に移管した。当館の自館システムでは、所蔵データは消去されたが、書誌データは残っている。また、甲州文庫の一部は、現在でも当館のホームページで閲覧できる。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土(近世(江戸時代))
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000078048