レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月12日
- 登録日時
- 2011/11/03 17:19
- 更新日時
- 2011/11/03 17:19
- 管理番号
- 9000007711
- 質問
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解決
伊藤左千夫が昇仙峡を訪れたときに詠んだ歌を知りたい。
- 回答
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『左千夫全集』第1卷 歌集(伊藤左千夫著 岩波書店 1977年)などに掲載がある。詳細については照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.山梨県立文学館の図録を調査。
・『山梨のアララギ派歌人展:伊藤左千夫・三井甲之・神奈桃村・岡千里・日原無限を中心に』(山梨県立文学館編集・発行 2005年)には参考となる記述はなかった。
2.自館システムで書名「昇仙峡」を検索し、文学関係資料を確認。
・『昇仙峡に魅せられた人たち(甲府文芸講座マガジン)』(甲府市教育委員会 2006年)→p28の囲み記事に「昇仙峡と文学者 伊藤左千夫」がある。それによると、左千夫が昇仙峡を最初に訪れたのは明治37(1904)年7月1日。その後明治39(1906)年1月に根岸短歌会御嶽歌会に参加した時に昇仙峡を訪れ、「御嶽仙娥滝」と題して13首の歌を残している。
・『詩歌の昇仙峡』(篠原良雄編 創生館 1933年)→p50-51に「御嶽仙娥滝」13首の掲載あり。
3.『左千夫全集』第1卷 歌集(伊藤左千夫著 岩波書店 1977年)で、2でわかった昇仙峡訪問の年に作られた短歌を確認。
・p310に恵林寺から上諏訪に向かう「汽車中作」として「こもりくの森を少なくみ里皆が家あらはなり甲斐の国原」があり(脚注によると、この歌は自筆の彩色で甲州御嶽を描いた11月27日付け絵はがきに記載された)、「廿四日晴朗、桃村予か為に東道の主人となり御嶽の勝を探る、予は日光を見て日光以上と思へり、耶麻溪を見たる人は耶麻溪以上と云ふと云へり…」との感想がある。
・p394-396に「御嶽乃歌会〔仙娥滝〕」として、歌会記に掲載の13首と、「仙娥滝雑詠」の題で墨書した詠草により追加した1首「山神のめてます瀧そうべな-多岐つほゆらくは皆蒼蛟(みなあおみづち)」(※「-」はくの字点。縦書きの場合の2文字分濁点なしの繰り返し記号)の掲載がある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『左千夫全集』第1卷 歌集(伊藤左千夫著 岩波書店 1977年) (p394-396)
- 『詩歌の昇仙峡』(篠原良雄編 創生館 1933年) (p50-51)
- キーワード
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- 伊藤左千夫
- 昇仙峡
- 短歌
- 「御嶽仙娥滝」
- 「御嶽乃歌会」
- 甲府市
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土(文学)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000096164