レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月09日
- 登録日時
- 2011/11/29 09:52
- 更新日時
- 2011/11/29 09:52
- 管理番号
- 9000007706
- 質問
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解決
長田円右衛門(おさだ えんえもん)の肖像を見たい。
- 回答
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「ふれあい:やまなし県政だより」Vol.30(山梨県広聴広報課 2011年10月)等に「長田円右衛門の碑(甲府市高成町)」の円右衛門の肖像がある。他の掲載資料については照会資料をご確認ください。
- 回答プロセス
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1.最近発行されたばかりの県の広報紙に長田円右衛門の特集記事があったので同資料を確認。
・「ふれあい:やまなし県政だより」Vol.30(山梨県広聴広報課 2011年10月)p16-17に「長田円右衛門(やまなしの偉人たち 第6話)」の掲載があり、p16に「長田円右衛門の碑(甲府市高成町)」の写真があり、円右衛門の肖像がある。
2.インターネットの「東京大学史料編纂所」webサイト(http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html ※2011.9.28確認)の「肖像情報データベース」(http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller ※2011.9.28確認)で「長田円右衛門」を検索すると、次の資料に長田円右衛門の肖像があることがわかり、確認すると、1と同様の碑の円右衛門の肖像の掲載がある。
・『中巨摩郡志』上巻(中巨摩郡連合教育会編・発行 1928年)口絵10枚目。
・『甲府市史:市制施行以後』(甲府市史刊行委員会編 甲府市 1964年)p1838
・『図説山梨県の歴史』(磯貝正義編 河出書房新社 1990年)p192
【追記事項】
3.1及び2と同じ碑の肖像は次の資料にも掲載があった。
・『人づくり風土記:ふるさとの人と知恵』第19巻 山梨(農山漁村文化協会 1997年)p315
・『郷土史にかがやく人々』第11集(青少年のための山梨県民会議編・発行 1981年)p22
・『昇仙峡に魅せられた人たち(甲府文芸講座マガジン)』(甲府市教育委員会 2006年)p10
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 「ふれあい:やまなし県政だより」Vol.30(山梨県広聴広報課 2011年10月) (p16)
- 『中巨摩郡志』上巻(中巨摩郡連合教育会編・発行 1928年) (口絵10枚目)
- 『甲府市史:市制施行以後』(甲府市史刊行委員会編 甲府市 1964年) (p1838)
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『図説山梨県の歴史』(磯貝正義編 河出書房新社 1990年)
(p192
) - 『人づくり風土記:ふるさとの人と知恵』第19巻 山梨(農山漁村文化協会 1997年) (p315)
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『郷土史にかがやく人々』第11集(青少年のための山梨県民会議編・発行 1981年)
(p22
) - 『昇仙峡に魅せられた人たち(甲府文芸講座マガジン)』(甲府市教育委員会 2006年) (p10)
- キーワード
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- 長田円右衛門
- 昇仙峡
- 御岳新道
- 肖像画
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 長田円右衛門(寛政7(1795)年-安政3(1856)年)は、甲斐国猪狩(いかり)村(現在の甲府市)の農民。祖父の遺志を継ぐ叔父の長田勇右衛門とともに、荒川渓谷沿いの甲府と猪狩村間の道路「御岳新道(みたけしんどう)」を計画し、村ごとに義務人足を出すなどの協力を得て、天保5(1834)年工事に着工した。工事は難所が多く、長期に渡る農民の疲弊と資金不足による中断等の苦難の末、天保14(1843)年に開通した。この新道の開通により昇仙峡が世に知られることになり、通行人の休み所として腰越に「接待亭」をもうけ、これは「お助け小屋」とよばれた。円右衛門の像は嘉永4(1851)年に接待亭のかたわらに建てられた。肖像画は柳蹊(りゅうけい)が描き、林鶴梁(はやし かくりょう)の賛がある。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土(人物-近世)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000097226