レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年04月13日
- 登録日時
- 2013/11/07 16:21
- 更新日時
- 2013/11/21 14:01
- 管理番号
- 9000008125
- 質問
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解決
「日本海」という名前を付けた人は誰か。
- 回答
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「日本海」という名称は、文化2年(1805)年に長崎から北航したロシア海軍の提督クルーゼンシュテルンの海図により名づけられたとされているが、それ以前の地図にも「日本海」の名称が使われている。
- 回答プロセス
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1.百科事典を調査。
・『世界大百科事典』第21巻(平凡社 2007年)→p406で「日本海」の項に「1815年ロシアの航海者クルーゼンシテルンの作った海図で、初めて日本海の名がつけられた」とある。
・『ブリタニカ国際大百科事典』第14巻(フランク・B・ギブニー編 TBSブリタニカ 1995年)→p176「日本海」の項に「日本海の名は、ロシア人クルゼンシテルンが一八一五年に出した海図に初めて記され、それ以来、国際的に使われるようになった」とある。
2.歴史事典を調査。
・『日本史広辞典』(日本史広辞典編集委員会編 山川出版社 1997年)→p1673「日本海」の項に「日本海の名称はマテオ・リッチ「坤輿(こんよ)万国全図」(一六〇二刊)にすでにみえ、日本では明治期以降一般化した」とある。
・『国史大辞典』第11巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1990年)→p115「日本海」の項に「この海を日本海と名づけたのは、文化二年(一八〇五)に長崎から北航したロシア海軍の提督クルーゼンシュテルン『日本紀行』とその付図によるというのが通説であった。しかし、彼が前以てみていたフランス人ラ=ペルーズ「日本周辺海図」(一七八七年発行)はもとより、それ以前の西洋地図には十八世紀中ごろから日本海(朝鮮半島寄りは朝鮮海とするものもある)とする諸地図が刊行されていた。日本では、寛政四年(一七九二)発行の司馬江漢「地球全図」や、山村昌永(才助)が文化元年に幕府へ進呈した『訂正増訳采覧異言』の付図「亜細亜州輿地全図」がすでに日本海と称していた。そして、明治初年から日本海(時には日本大海)の呼称が一般化されていった」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『世界大百科事典』第21巻(平凡社 2007年) (p406)
- 『ブリタニカ国際大百科事典』第14巻(フランク・B・ギブニー編 TBSブリタニカ 1995年) (p176)
- 『日本史広辞典』(日本史広辞典編集委員会編 山川出版社 1997年) (p1673)
- 『国史大辞典』第11巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1990年) (p115)
- キーワード
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- 日本海
- イヴァン・フョードロヴィチ・クルウゼンシュテルン
- 海洋
- 地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 日本の地理・地誌
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000140144