レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年01月15日
- 登録日時
- 2023/02/14 17:12
- 更新日時
- 2023/07/10 10:46
- 管理番号
- 京歴-661
- 質問
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解決
現在の京都市北区にあった、光悦村・鷹峯(鷹ケ峰)が載っている1615年頃の古地図はないか。
- 回答
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1662(寛文2)年刊の『新板平安城東西南北町并洛外之圖』(資料①)、1686(貞享3)年刊の『[京繪圖]』(資料②)、が見つかった。どちらの資料も当館の「京の記憶アーカイブ」で見ることができる。
・『新板平安城東西南北町并洛外之圖』(①)…地図左上(画像は右上)に「しちく村」「丹波道」の間に「鷹ケ峯」とあり。
http://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/mediaOriginal?cls=152_old_books_catalog&pkey=0000000240&lCls=150_media_old_books&lPkey=0000063960
・『[京繪圖]』(②)…画像の左上部に「神護国祚真言寺」(※神護寺)、「丹波道」の下に「たかゝみね」の表記あり。
http://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/mediaOriginal?cls=152_old_books_catalog&pkey=0000002068&lCls=150_media_old_books&lPkey=0000386887
他に江戸時代初期の光悦村の地図は、次の資料で確認できる。
・『光悦 : 琳派の創始者』(③)…「光悦町古図より作成 光悦町の概要」(p.90)
「新撰増補京大絵図 貞享三年」(p.87)が掲載されているが資料②と同じ古図である。
・『本阿弥光悦 人と芸術』(④)…光悦寺所蔵「鷹峯光悦町古図」(p.96)
・『洛 : 朝廷と幕府 (京の歴史と文化5)』(⑤)…「承応三年六月光悦拝領略図地面写」と「「光悦町古図」より作成した鷹ケ峯の地図」(pp.106-107)
・『桃山の春・光悦展 : 町衆の信仰と芸術』(⑥)…光悦寺所蔵「光悦町古図」(p.109)
【webページの最終確認日:2023年2月22日】
- 回答プロセス
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・所蔵資料からお探しの年代に近い古地図を確認し、資料①、②を見つけた。
・資料①、②では標記が「たかゝみね」、「鷹ケ峯」となっているため、『京都大事典』(資料⑦)で「光悦村」の項目を調べると「江戸初期、本阿弥光悦が一門とともに住んだ洛北鷹峯(現北区鷹峯光悦町)が、特に近代以降、芸術村とみなされて生まれた呼称。」とあり、光悦村とは呼称であることがわかる。項目を読み進めると、質問者の言う1615(元和元)年は、光悦が徳川家康から鷹峯の地を拝領した年であること、「鷹峯光悦町古図」と呼ばれる古図が存在することがわかった。(p.364)
・当館の所蔵検索システム(OPAC)をキーワード「光悦村」で検索した結果から、資料③-④を確認した。
・資料③の参考文献から資料⑤を確認。
・他に開架書架から資料⑥をみつけ、内容を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 芸術史.美術史 (702 10版)
- 地理.地誌.紀行 (290 10版)
- 参考資料
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- ①『新板平安城東西南北町并洛外之圖』 [伏見屋] 寛文2 [1662] (当館請求記号:貴||T29)
- ②『[京繪圖]』刊年1686年 (当館請求記号:貴||280)
- ③『光悦 : 琳派の創始者』河野元昭編 宮帯出版社 2015.10 (当館請求記号:||702.148||H84||)
- ④『本阿弥光悦 人と芸術』増田孝著 東京堂出版 2010.9 (当館請求記号:||702.148||H84||)
- ⑤『洛 : 朝廷と幕府』(京の歴史と文化 5) 講談社 1994.7 (当館請求記号:K1||216.2||Ky5||5)
- ⑥『桃山の春・光悦展 : 町衆の信仰と芸術』京都文化博物館学芸第二課編 京都文化博物館 1995.10 (当館請求記号:||702.148||Ky6||)
- ⑦『京都大事典』佐和隆研[ほか]編集 淡交社 1984.11 (当館請求記号:K0||291.62||Ky6||)
- キーワード
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- 光悦村 (現京都市北区鷹峯光悦町)
- 本阿弥光悦
- 鷹峯村(鷹ケ峰) ( 京都市北区)
- 光悦町古図
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 所蔵・内容
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000328976