レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年10月08日
- 登録日時
- 2011/12/24 11:14
- 更新日時
- 2011/12/24 11:16
- 管理番号
- 9000006820
- 質問
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解決
中国の寒山寺にある有名な詩碑について、漢詩の題名と全文、及び碑文は誰の筆によるものかを知りたい。
- 回答
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詩碑の漢文は唐代の詩人・張継(ちょうけい)の「楓橋(ふうきょう)夜泊(やはく)」、筆は清末の愈越(ゆえつ)である。全文及び詩碑の詳細等については照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.碑の確定をするために、中国の地名辞典を確認。
・『最新中国地名事典』(日外アソシエーツ 1994年)→「寒山寺」の項に「唐代の詩人張継の「楓橋夜泊」で、寒山寺は天下にその名を知られるようになった」とある。
・『中国名勝旧跡事典』第2巻 華東篇(中国国家文物事業管理局編 ぺりかん社 1987年)→「寒山寺」の項に「唐代の張継は寒山寺の近くを通ったさい「楓橋夜泊」をつくり(中略)そのため寒山寺は天下にその名を知られるようになった。張継の詩の碑は明代の文徴明(1470~1559)の筆であったが、たびたび難にあううち筆跡がぼやけてきたので、清の光緒年間に愈越(1821~1906)の筆で彫り直した」とある。全文(書き下し文)の掲載あり。
2.漢詩の鑑賞事典を確認。
・『漢詩の事典』(松浦友久編 大修館書店 1999年)→索引から「寒山寺」を検索し、p426-428の「楓橋・寒山寺」の項を確認すると、「楓橋夜泊」の全文(白文と書き下し文)の掲載があり、「最初の石刻は北宋の王郇公(王珪)に始まり、続く詩碑は明の文人文徴明のものである。これも断裂・摩滅すると、清末の愈越が死没の年(1906年、86歳)に書いた雄渾な詩碑が立ち、これが今日もなお用いられている」との記述がある。
・『中国名詩鑑賞辞典(角川小辞典)』(山田勝美著 角川書店 1979年)→p137-138に「楓橋夜泊」の全文(白文、書き下し文、訳文)があり、詩碑については「寒山寺 蘇州西方にある寺。現在この詩が、その境内に、愈越の筆で書かれて建っている」とある。
・『岩波漢詩紀行辞典』(竹内実編著 岩波書店 2006年)→p65-66に「楓橋夜泊」の全文(白文、書き下し文、訳文)の掲載あり。詩碑については記述なし。
・『校注唐詩解釈辞典』(松浦友久編 大修館書店 1987年)→p236-243に「楓橋夜泊」の全文(白文、書き下し文)、語釈、通釈の掲載あり。詩碑については記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- アジア (292 9版)
- 詩歌.韻文.詩文 (921 9版)
- 参考資料
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- 『中国名勝旧跡事典』第2巻 華東篇(中国国家文物事業管理局編 ぺりかん社 1987年) (p67-68)
- 『中国名詩鑑賞辞典(角川小辞典)』(山田勝美著 角川書店 1979年) (p137-138)
- 『漢詩の事典』(松浦友久編 大修館書店 1999年) (p426-428)
- キーワード
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- 寒山寺
- 帳継
- 愈越
- 楓橋夜泊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 世界の地理・地誌
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000098937