レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年04月15日
- 登録日時
- 2021/05/01 14:23
- 更新日時
- 2021/05/04 12:16
- 管理番号
- 地-210004
- 質問
-
解決
横浜市内の掃部山公園に井伊直弼銅像があるが、その除幕式に、伊藤博文、山県有朋、井上馨などが、招待を受けたにもかかわらず欠席したという。これは事実なのか知りたい。
また、銅像建立に際して、明治政府から妨害があったのであれば、その内容についても併せて知りたい。
- 回答
-
下記の資料を紹介した。
・『郷土神奈川』 第47号 神奈川県立図書館 2009
p.1-16に「横浜掃部山公園 井伊直弼銅像建立をめぐる紛争と事件の顛末」田村泰治著が掲載されている。
p.6-8に、「五、銅像建立に対する政争 ①井伊直弼顕彰碑建立の動き」があり、横浜戸部不動山(現在の掃部山)に建立された経緯が書かれている。
また、p.8-10に、「②除幕式の強行」があり、p.10に「政府要人は欠席し、他の要人も気兼ねして出席していない。
ただ、立憲改進党党首大隈重信のみが来賓として政府の一連の行為を非難し、六〇〇名を超える聴衆から大きな拍手で歓迎された。」と記述があるが、出席しなかった要人についての記載はなかった。
・『故井伊直弼朝臣銅像除幕式之記』大鳥居正 1909
明治42年(1909)7月11日に横浜市戸部町の掃部山で行われた井伊直弼の銅像除幕式の様子や、大隈重信をはじめとした来賓の祝辞などが掲載されている。
p.38~71に「島田三郎君が、明治四十二年七月十三日より廿三日に至る間、東京毎日新聞に掲載せられたるものなるが同君の承諾を得て因みにこヽに転載す」として、「井伊直弼の銅像」という文章が掲載されている。
また、p.40に「曰く市長が開港五十年紀念会に、東京の公人を招き且其繰合せて出会せられんことを乞ふの運動を為すに際し、官人某々等は掃部山の銅像除幕式を紀念会当日に行ふに於ては
断じて出席せざる可しと固辞せられたり、曰く県知事は許可を遅延せんが為めに特に旅行せられたり、曰く横浜商業会議所又は貿易新聞社に於て発行せる紀念絵葉書に井伊直弼の像ある物は
其増発を警察より制止せりと、紛々たる巷説一々信ずるに足らずとするも、此建像に対して一部守旧派の反想を有するは疑ふ可きに非ず、」との記載がある。
銅像の除幕式に際し、誰に招待状を送り、誰が欠席したかということについては、記載がなかった。
・阿部安成「横浜開港五十年祭の政治文化」
『歴史学研究』第699号 青木書店 p.1-18 1997.7
p.8-10「Ⅲ 不協和音 1 除幕式延期」中、p.9に「「七月一日の午餐会には来賓として伊藤、山県、大山、井上、大隈、松方の諸元老を初め各省の大臣其他約三百名を招待する手筈」と
平穏無事に準備が進捗する様相を伝えている(横貿09.6.19)。ところが、7月1日も井伊の銅像は白布をかぶったままで、戸部町の神楽に祝福されることもなかった」、「『東京日日新聞』(09.6.27)はすでに、式典の「不首尾」を予告していた。すなわち、開港五十年祭の案内状に記載されていた銅像除幕式のことをみた元老が異議を唱え、「開国の主唱者といへば阿部[正弘]、堀田[正睦]の二老なるにこれを井伊大老に帰」してしまうと、安政の大獄の「惨事はいまなほ世人の記憶に新しき所なるを、開国の主勲なりとて中外人環視の中に其銅像の除幕式を行はむなどゝは怪しからず」とみなし、しかも「其筋よりは該除幕式中止のことを周布[公平、神奈川県]知事に訓令する」にまでなったという。したがって、伊藤博文、井上馨、松方正義、そして周布も欠席となり、銅像および公園の市への寄附も保留となった、という顛末が『東京日日新聞』により報道されていた。」との記述がある。
なお、『横貿』とあるのは『横浜貿易新報』で現在の『神奈川新聞』の前身、『東京日日新聞』は現在の『毎日新聞』の前身にあたる。
・「東京日日新聞」明治42年(1909)6月27日
7面に「井伊大老銅像」の見出しで、横浜市開港五十年祝典の当日、除幕式を行い横浜市へ寄付する手筈となったが、元老大臣の異議を受け、除幕式は日程を変更して行うこと、銅像の寄付も軽率に受け取るべきでないと主張するものがあるといった内容の記事がある。
記事中には、「先頃各元老大臣を始め、各国大使公使、及び内外の貴神に発送したる案内状の次第書の中にさへ、該像除幕式挙行のことを加へありたるが、これを見たる元老大臣の間には頗る異議あり」、「中外人環視の中に其銅像の除幕式を行はむなどゝは怪しからずとて其筋よりは該除幕式中止のことを周布知事に訓令する所あり」、「知事は市の有志との関係上無下にもこれを差止め難く元老大臣及び市の有志との間に板挟みとなり」、「伊藤、井上、松方の三老の憤激は一方ならず当日除幕式を行はむとならば我等松陰、南洲の提撕を受けたるものは一人も出席せざるべしといふに至り大臣枢府の間にも同様の咸を抱くものあり」との記述がある。
・『特別展図録 掃部山銅像建立一一〇年 井伊直弼と横浜』神奈川県立歴史博物館 2020
p.6-8「総説-井伊直弼と横浜」に「1章 銅像建立」が立章されており、建立をめぐる賛否や建立、除幕式までの経緯が書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 掃部山公園
- 井伊直弼
- 銅像建立
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 その他
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000297768