レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年7月9日
- 登録日時
- 2021/07/22 13:23
- 更新日時
- 2021/09/12 20:39
- 管理番号
- 県立長野-21-062
- 質問
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解決
『秩父坂東湯殿山紀行』にみられる長野県の地名、信濃国水内(みのち)郡善光寺(ぜんこうじ)町は現在長野市元善(もとよし)町になっているが、この間の沿革を知りたい。
- 回答
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『信州ふるさと変遷史 新版』p.20 に長野村から長野市への変遷の一覧図(最終確認2021年7月28日)があり、『角川日本地名大辞典 20長野県』 p.647に善光寺町、 p.818-819に長野村・長野町・長野市、 p.1110に元善町についての記述が確認できる。
「善光寺町」 善光寺町は江戸期〜明治4年の町名。水内郡の内。善光寺の門前町の総称。郷帳類など地籍上は長野村の内に含まれるが、その大部分が町場化して善光寺町と称され、一般に長野村という場合にはそれ以外のわずかな農村部を指すだけとなった。(後略)
「長野村」 江戸期から明治7年の村名。水内郡のうち、慶長6年徳川家康が当村250石をはじめ4か村で計1,000石を善光寺に寄進し、以後当村は善光寺領となる。(中略)明治4年中野県を経て長野県に所属。これに伴い善光寺町は改めて長野村と称されることになる。同年6月県庁が中野から当村の西方寺に移り、長野県庁となり、当村も長野県に所属。(中略)同7年長野町の一部となる。
「長野町」 明治7-22年の町名。水内郡のうち。長野村と箱清水村が合併して成立。(後略)
「元善町」 (前略)明治12年の長野町図(長野市史)によれば、当町の東と西の両裏通りを裏元善町と記しているが、その後裏元善町の町名は見えず、当町に含まれるようになったものと思われる。もともと当町は公式には長野町のうちの通称町名で、明治22年市制町村制施行後は長野町長野のうちの通称町名となり、現在も長野市長野のうちの通称町名として残る。
- 回答プロセス
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1 『信州ふるさと変遷史 新版』で長野市の合併の経過を確認する。
2 『角川日本地名大辞典 20長野県』、『長野市誌』から詳細を確認する。
<調査資料>
『長野市誌』 長野市誌編さん委員会編 長野市 2001 【N212/318】
- 事前調査事項
- NDC
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- 地理.地誌.紀行 (290 10版)
- 参考資料
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「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂. 角川日本地名大辞典 20 (長野県). 角川書店, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002055045-00 , ISBN 4040012003 (【293/18】 p.647,818-819,1110) -
長野県図書館協会 編 , 松橋好文 原編 , 松橋, 好文 , 長野県図書館協会. 信州ふるさと変遷史 : 県下81市町村のルーツと現在. 一草舎出版, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008383584-00 , ISBN 4902842262 (【291.52/ナガ】 p.20)
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「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂. 角川日本地名大辞典 20 (長野県). 角川書店, 1990.
- キーワード
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- 善光寺町
- 長野市
- 長野町
- 長野村
- 元善町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000302035