レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2025/01/16 09:57
- 更新日時
- 2025/01/30 21:56
- 管理番号
- 県立長野-24-187
- 質問
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未解決
ゴールドン・T・ボーレス氏らの、秋山郷調査に関する「日・米両文のレポート」の所在を知りたい。
1952年(昭和27年)7月17日の『信濃毎日新聞』朝刊3面に秋山郷の調査の記事の掲載があり、当時東大教養部人類学教授ゴールドン・T・ボーレス氏らが秋山郷に調査に入り、「日・米両文のレポートで発表される予定」と記述がある。
- 回答
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ゴールドン・T・ボーレス氏らが調査した秋山郷に関する日・米両文のレポートの有無を確認することはできなかった。
ゴールドン・T・ボーレスの原綴りは「Bowles, Gordon T」または「Bowles, Gordon Townsend」、ヨミは「ゴードン・T・ボーレス」「ゴードン・タウンゼンド・ボウルズ」だと思われる。他、調査過程で「G.T.ボールス」「ゴードン・T・ボールズ」などの氏名表記も確認した。
質問者には調査過程で見つけたボーレス関連の下記資料をいくつか紹介した。その資料に秋山郷に関する内容が含まれているかは不明。
・『The people of Asia』Gordon T. Bowles著 Scribner 1977
上記資料は「一九七八年読書アンケート」『みすず』みすず書房 1979 1月号(第225号)p.33に、人類学の山口敏氏
が内容をかいつまんで紹介しており、全アジア地域の諸民俗学を対象にしたアジア研究の成果をまとめた資料と
のこと。
・ゴードン・T ボールズ、ハリー レイ、中條夕里訳「ゴードン・T・ボールズ(Gordon T. Bowles)(ハリー・レイ オーラル・
ヒストリー・シリーズ)」『戦後教育史研究』明星大学戦後教育史研究センター編・刊 2021.3 p.73-92
・「ゴードン・T・ボールズ(Gordon T. Bowles)」『戦後教育史研究』
・Gordon T. Bowles、米山 俊「ボールズ博士聞き書き」『季刊人類学』京都大学人類学研究会編 第7巻第4号 1976.12
p.214-234
・原 ひろ子「Gordon Townsend Bowles (1904.6.25-1991.11.10) 先生を訃む」『民族學研究』 第57巻第1号 1992
p.101-104
・『New Types of Old Americans at Harvard and at Eastern Women's Colleges』Gordon Townsend Bowles 1932
- 回答プロセス
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[サイトの最終確認日:2025年1月16日]
1 当館契約の「信濃毎日新聞データベース」で質問者が言っていた『信濃毎日新聞』の記事を調べる。
・「うすらぐ”平家の落人”説」1952年(昭和27年)7月17日 朝刊3面の記事の掲載がある。
長野県下高堺村秋山郷の小赤沢、屋敷、上ノ原、和山、切明の5部落に、東大教養学部人類学教授ゴールドン・T・ボーレス氏を
中心として調査班が乗り込んだ旨の記事。調査班には大給近達主任、高主法大教授の名前がある。
昨年秋から調査が行われ、10月に補充研究を行ったのちに「日、米両文のレポートで発表される予定」とある。他、関連記事がないか検索したが、レポートの所在に関わるような内容ではなかった。ボーレス氏の氏名表記が
「ゴールドン・ボールズ」など揺れがあるのが確認できた。2 ゴールドン・T・ボーレスの原綴りを調べる。
・『新・カタカナから引く外国人名綴り方字典』日外アソシエーツ編・刊 2014【288.1/ニチ】を使用して、予想できる綴りを
組み合わせて、「国立国会図書館サーチ」や「CiNii」で検索していく。「Gordon T. Bowles」で、人類学に関する資料がいくつか
ヒットした。著者標目を確認すると「Bowles, Gordon Townsend」とある。3 インターネットで「Gordon T. Bowles 教授」で検索すると、以下のサイトがヒットした。
・「世界の人類学者75.ゴードン・タウンゼンド・ボウルズ(Gordon Townsend BOWLES)[1904-1991]」
このサイトは「John simon Guggenheim(ジョン・サイモン・グッゲンハイム財団)」サイトのGordon T. Bowles紹介ページを
改変・引用したサイト。
これによると、ボールズは1951年に東京大学で文化人類学担当の教授に就任したとあり、その後の詳細な年代は書いていない
が、国際基督教大学でも教鞭をとり、新潟県や長野県の調査を行った旨の記述がある。
ボールズの関連資料について、2の調査過程でヒットした資料と同じものの掲載を確認した。4 原綴りで関連資料や論文を以下のサイトで調べるが、秋山郷関連のレポートの確認はできなかった。
・「国立国会図書館サーチ」
・「CiNii」
・「東京大学附属図書館OPAC」
・「東京大学学術機関リポジトリ」
・「国際基督教大学リポジトリ」いくつかヒットしたGordon T. Bowles著書に、回答に記述した『The people of Asia』を見つける。
5 「Google Books」で「The people of Asia Gordon T. Bowles」で検索する。
『The people of Asia』の中身を見ることはできなかったが、「みすず 第21巻、第225~235号 – 33ページ」がヒットした。
当館に所蔵があったので確認すると、以下の記事を見つける。
・「一九七八年読書アンケート」『みすず』みすず書房 1979 1月号(第225号)p.336 4の調査過程のサイトで、新聞記事にあった「大給近達」「高主法大教授」で検索するが、秋山郷関連のレポートにの確認は
できなかった。
「高主法大教授」は法政大学のことと思われたので、「高主 法政大学」で検索すると、高主武三(タカヌシ タケゾウ)氏
の人類学に関する資料がいくつかヒットしたが、当該質問に関することは確認できなかった。7 レファレンス協同データベースで、キーワード「秋山郷」で検索。
管理番号:県立長野-19-082「秋山郷における平家の落人について、県史、史誌等に記述はあるか。」
事例の中にあった『栄村史 堺編』栄村史堺編編集委員会著 長野県下水内郡栄村役場 1964【N211/13/2】の秋山郷関連記述を
読むが、当該質問に関することは確認できなかった。8 当館蔵書を秋山郷関連資料で検索するが、当該質問に関することは確認できなかった。
9 リサーチ・ナビ「アジア関係論文の検索(日本語)」で調べ方を見る。
紹介されていた『明治・大正・昭和前期雑誌記事索引集成』石山洋ほか編 皓星社【027/171-1】を所蔵していたので執筆者
索引から調べたが、掲載はなかった。<ヒットしたGordon T. Bowles関連の資料>
・『文化人類学 (NHK教養大学 ; 第21)』G.T.ボールス著 宝文館 1953
[国立国会図書館デジタルコレクション 国立国会図書館内/図書館・個人送信限定]
・Gordon T.Bowles、羽柴正市「The Challenge Facing A Student Today」『The Youth's companion』日本英語教育協会
1952-01 p.2~5 [国立国会図書館デジタルコレクション 国立国会図書館内/図書館・個人送信限定]<調査資料>
・信濃毎日新聞 1973年(昭和48年)7月11日 17面「流出する郷土の民具みかねて」
・信濃毎日新聞 1952年(昭和27年)7月14日 2面「秘境”秋山”とは-近親結婚の”平家部落”-」
・『平家の谷』改訂版 市川健夫著 令文社 1995【N211/14b】
・『秋山郷 1971』新潟県教育委員会編・刊 1971【N250/9】
巻末に「付 秋山郷関係主要文献目録」の掲載があるが、ボールスらの著作等の記載はなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 民族学.文化人類学 (389 10版)
- 参考資料
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Gordon T. Bowles. The people of Asia. Scribner, 1977.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282269007940992 , ISBN 0684156253
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Gordon T. Bowles. The people of Asia. Scribner, 1977.
- キーワード
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- 秋山郷
- 平家 落人
- Gordon Townsend Bowles
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査 所蔵機関調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000361767