レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年08月18日
- 登録日時
- 2017/11/05 10:15
- 更新日時
- 2017/11/08 10:30
- 管理番号
- 0000110694
- 質問
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解決
明治16~19年に寺内正毅が在フランス公使館の武官となったときの公使館の場所が知りたい。書籍や文書で、できれば公文書で書かれているものが見たい。
- 回答
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下記資料1の巻末の解説編に収載された「黎明期日本外交と鮫島尚信」(犬塚孝明)という文献に在フランス公使館の所在地の変遷について記載あり。
それによれば、1873年(明治6年)にラ・レーヌ・オルタンス街26番地からジョゼフィーヌ街75番地(現・マルソー街75番地)に移転し、1906年に現在のオッシュ街7番地に新しい大使館を建てるまでそこにあったとあり。
注によれば、外務省外交史料館所蔵の文書『借地及借家料関係雑纂(在仏大使館)』(8-4-3-1-8)が典拠となっている。
この文書は、資料2によれば8門(会計)4類(普通費)3項(借地及借家料)の1(借地及借家料関係雑纂)-8(在仏大使館)として確認でき、外交史料館では公開されている文書だが、国立公文書館アジア歴史資料センターではネット未公開資料で公開時期未定となっており(「資料の公開状況」より)、インターネットでは確認できなかった。
国立公文書館アジア歴史資料センター 資料の公開状況(2017年11月5日最終確認)
https://www.jacar.go.jp/about/documentstable/index.html
なお、ほぼ同内容が資料3に同著者による「明治初期対ヨーロッパ外交の形成と在外公館実務 -初代駐仏公使鮫島尚信を中心に」に記載があり、フランス語表記は、そこで確認できる。
また資料1の巻頭の図版の中にマルソー街75番地の建物の写真の掲載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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「~鮫島尚信とパリ公使館~」というサイトに、1873年(明治6年)10月29日から1906年(明治39年)にオッシュ街7番地(7 Avenue Hoche)に移転するまで、ジョゼフィーヌ街75番地(75 Avenue Josphine)、現・マルソー街75番地(75 Avenue Marceau)にあったとある。
http://yumeutsutsu.sakura.ne.jp/phantom/gaikoukan.html (2017年11月5日最終確認)
- NDC
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- 外交.国際問題 (319 9版)
- フランス (235 9版)
- ヨーロッパ (293 9版)
- 参考資料
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鮫島尚信 [著] , 鮫島文書研究会 編 , 鮫島, 尚信, 1846-1880 , 鮫島文書研究会. 鮫島尚信在欧外交書簡録. 思文閣出版, 2002. p.576-577,587
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003642119-00 , ISBN 478420962X -
外務省外交史料館 編著 , 外務省外交史料館. 外交史料館所蔵外務省記録総目録 : 戦前期 第1巻(明治大正篇). 原書房, 1992. p.453
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002219743-00 , ISBN 4562023007 -
明治維新史学会 編 , 明治維新史学会. 明治維新と西洋国際社会. 吉川弘文館, 1999. (明治維新史研究 ; 5) p.166-167
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002769011-00 , ISBN 4642036407
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鮫島尚信 [著] , 鮫島文書研究会 編 , 鮫島, 尚信, 1846-1880 , 鮫島文書研究会. 鮫島尚信在欧外交書簡録. 思文閣出版, 2002. p.576-577,587
- キーワード
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- 日本公使館(在フランス)
- 外交官-日本-歴史-明治時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000224237