レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年03月23日
- 登録日時
- 2016/09/17 16:40
- 更新日時
- 2016/10/21 09:51
- 管理番号
- 地-160003
- 質問
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解決
明治後期に横浜婦人矯風会の会長を務めていた角倉嵯峨子について知りたい
- 回答
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角倉嵯峨子(スミクラサガコ。名前については嵯峨、サガとの表記もある)については、まとまった記述が見つかりませんでした。関連資料を総合すると、下記のようなことはわかりました。
・横浜婦人矯風会会長在任期間は、1895~1899年の足かけ5年間。
・本郷定次郎・ヒデ夫妻が創設した暁星園という施設を、定次郎死後に「横浜孤児院」と改称して1899(明治32)年に引き受けた。角倉は当時横浜婦人矯風会の会長で、生前の本郷夫妻と親交があった。その経緯は、当時の新聞記事に取り上げられている。
・1903(明治36)年6月に「家事の都合」で横浜孤児院理事を辞職。
・横浜パブテスト伝道館で伝道師を務めていた。
・1923(大正12)年3月15日死去。
詳細は、下記の資料とその参考文献をご確認ください。
・中積治子「女による 女のための活動-横浜婦人矯風会の五〇年」『史の会研究誌 第3号』史の会,1996,p5-43 <K26/44/3>
・『横浜近代史辞典』湘南堂書店,1986<K03.1/1A> (『横濱社会辞彙』横浜通信社,1918年の改訂版が底本)
「横濱孤児院」の項はp353-354、「横濱パブテスト傳道館」の項はp419に掲載。
・田代国次郎「横浜孤児院の史的研究」 『広島女子大学文学部紀要』17号別刷, 1982 <K36.1/122>
- 回答プロセス
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①人物関係の参考図書を探しても出てこなかったので、質問者から寄せられた「横浜婦人矯風会」という情報を元に探すことにする。
②当館OPACで「ヨコハマ*フジン*矯風会」と検索して、中積治子「横浜婦人矯風会の50年」(『横浜プロテスタント史研究会報(No.1~No.41)』横浜プロテスタント史研究会,2007,No.20(1997)-p3<K19.1/186/1-41>)に当たる。
「初代の会長は、山本さと子で、続いて角倉嵯峨子が会長となる」と書かれてあったが、角倉本人についての情報はこれだけで、研究会の発表抄録のため正確な出典も不明。そこで、中積氏の関連著作を探索すると、『史の会研究誌 第3号』(史の会,1996 <K26/44/3>)に「女による 女のための活動-横浜婦人矯風会の五〇年」(p5-43)が掲載されていることがわかった。
論文を確認すると、「1 山本さと子(1894年)、角倉嵯峨子の時代(1895~1899年)」という項があり、彼女が横浜孤児院という施設に深くかかわっていたことがわかったので、横浜孤児院関係の資料を探す。
③当館OPACを検索すると、田代国次郎「横浜孤児院の史的研究」( 『広島女子大学文学部紀要』17号別刷, 1982 <K36.1/122>)、「横浜孤児院」沿革部分(『編集復刻版 子どもの人権問題資料集成 第2巻』不二出版,2009,p19 <K36/1035/2>1908(明治41)年に発行されたものが底本)がヒット。
特に田代論文に新聞記事などが細かく引用されており、有用だった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会福祉 (369 9版)
- 日本 (281 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 角倉嵯峨子
- 横浜孤児院
- 横浜婦人矯風会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000197052