レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/06/10
- 登録日時
- 2009/12/03 02:11
- 更新日時
- 2009/12/03 02:11
- 管理番号
- tr187
- 質問
-
解決
明治時代に三島通庸が政府から払い下げを受けた土地の、その後のおおまかな歴史が知りたい。
- 回答
-
明治19年(1886)、三島通庸(みしま みちつね)は明治政府から、子の弥太郎(やたろう)名義で現在の西那須野にある土地の払い下げを受けました。
これが後年「三島農場」と言われる地域です。
最終的に三島農場は解体され、土地も三島氏以外の手に渡っていきます。
通庸の孫、通陽(みちはる)が早くからボーイスカウト活動に熱心であったことから、農場の歴史に日本ボーイスカウトの歴史が絡んでいる点も興味深いところです。
当館所蔵資料では、次のものに三島農場地区の歴史等について記されています。
(1)『西那須野町の開拓史』
(西那須野町史編纂委員会/編 西那須野町 2000),p162-184
(2)『西那須野百科辞典 西那須野町史別巻』
(西那須野町史編さん委員会/編 西那須野町 2004)
(3)『日本ボーイスカウト運動史』
(スカウト運動史編さん特別委員会/編 ボーイスカウト日本連盟 1973),p255-257
上記資料等から拾った、ボーイスカウト関連も含めた略年表は以下のようになります。
・明治19年(1886)……三島通庸、子の三島弥太郎名義で土地の払い下げを受ける。
個人所有地を「三島開墾地(場)」として経営を始める。
(「三島農場」となるのは昭和に入ってから)
・明治21年(1888)……三島通庸死去。三島弥太郎が家督を継ぐ。
・大正8年(1919)……三島弥太郎死去。三島通陽(弥太郎の子)が家督を継ぐ。
・大正9年(1920)……三島通陽、三島地区でボーイスカウト活動を始める。
「那須野ボーイスカウト」設立。
・大正11年(1922)……三島通陽、少年団日本連盟の創立にあたり副理事長に就任。
・大正12年(1923)……「那須野ボーイスカウト」が少年団日本連盟に加入。
・昭和6年(1931)……三島農場、520haを解放。
・昭和8~11年(1933~1936)……三島農場、290haを解放。
・昭和20~年(1945~)……三島義温(よしやす)が三島農場の経営にあたる。
(三島義温:狩野村長。三島通陽の養子。昭和22年4月10日村長就任。昭和25年4月5日任期途中に退任)
・昭和22年(1947)……三島農場、農地改革により残った土地のほとんどを手放す。
・昭和23年(1948)……三島通陽、ボーイスカウト日本連盟理事長に就任。
・昭和25年(1950)……三島通陽、別荘のあった山林(7.2ha)の土地・建物をボーイスカウト日本連盟へ譲渡。
三島地区に所有している道路・水路・仏堂敷地・消防小屋・共同墓地などの土地を狩野村に寄付。
・昭和26年(1951)……三島通陽、ボーイスカウト日本連盟総長に就任。
・昭和40年(1965)……三島通陽死去。
・昭和48年(1973)……農場事務所の土地を狩野町に寄付。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 農業 (610 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 三島通庸
- 三島弥太郎
- 三島通陽
- 三島義温
- 三島農場
- 三島開墾地(場)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000060492