①『江戸参府紀行』A.ジーボルト著(東洋文庫87)平凡社 p.146 には次のような記述があります。
「阿曽村の付近でわれわれは、同じ阿曽川という名の今は小さくなっていて所々で歩いて渡れる川を渡り、釜屋・斑鳩・山田・網干などの村々を通り過ぎ、二、三の浅い小川を渡り、姫路の町をいわばその両腕(ふたつの支流)に抱いている市川の、河原石でおおわれた右側の浅い流れを越えて、やっと姫路城外の町に着いた。」
シーボルトの通った上記経路の詳細を解説する資料は見つかりませんでしたが、当時の街道については次の資料があります。
②『歴史の道調査報告書 第2集 山陽道(西国街道)』兵庫県教育委員会 1992
(『歴史の道調査報告書集成 9 近畿地方の歴史の道 9』海路書院 2006 にもこの本の内容が含まれています)
p.29に、「文政9年(1826)室津に上陸して山陽道を上っていったシーボルト」との記述があり、①の内容を紹介しています。
また、本書(p.21)によると、近世山陽道のコースのうち、姫路城下から鵤までは次のとおりです。
「姫路城下-東今宿-西今宿-下手野-(手野川)-青山-同出屋敷-山田-太田原-
中太田-同出屋敷-同平岩-東保中出屋敷-同野間茶屋-東南-鵤(斑鳩寺)」
③『太子町史 第2巻』太子町 1996
「山陽道と鵤の宿」についての記述があり、その中(p.89)でシーボルトと①の内容の紹介しています。
④『播磨の街道 『中国行程記』を歩く』橘川真一/著 神戸新聞総合出版センター 2004
巻頭24ページカラーで、『中国行程記』の播磨の部分とその読み下し文が掲載されています。