レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/5/15
- 登録日時
- 2021/09/11 00:30
- 更新日時
- 2021/09/14 08:44
- 管理番号
- 北方 21-0020
- 質問
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解決
根室新聞1997年、1998年に連載された色丹島の強制移住に関する記事があるらしいので見たい。
- 回答
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『千島周遊記』、『武蔵艦便乗千島再航誌』という記事名で、1897年から1898年に連載されていることが分かった。連載記事は、冊子にはなっていないため、根室毎日新聞(マイクロ)を直接ご覧いただく。
調査資料は次のとおり。
回答資料1p.324「解説-北千島アイヌと色丹島の歴史」(川上淳 元根室博物館開設準備室主任学芸員 現・札幌大学文化学部助教授) 註(34)には、「その詳細な報告は、当時、根室毎日新聞主筆であった門馬豊次が、同艦に便乗し、『千島周遊記』と題して連載し、翌年ヤーコフたちを迎えに行く船にも乗って、『武蔵艦便乗千島再航誌』として『根室毎日新聞』に掲載した。その後『北海道毎日新聞』に移り、ほぼ同様の記事を『北海道毎日新聞』に掲載している。1998(平成10)年に、門馬の次女、高草木和歌子氏から、この『根室毎日新聞』のスクラップのコピーが根室市博物館開設準備室に寄贈された。」と記載あり。掲載年月日はこちらにお問い合わせいただく。
回答資料2の論文、川上淳著「千島通史(14)三県時代と北千島アイヌの色丹島移住」のp.11には、「根室郡長林悦郎は、撫育費支給期間が明治32(1899)年で満了するのを前に、色丹アイヌの自立的生活の見込が無いと判断し、明治30(1897)年に道庁長官に色丹アイヌの北千島への試験的往還を申請し、この年の出猟が許可された。
同年5月軍艦武蔵に、ヤーコフ、イヨン、ニケファイルの3家族10名を乗せ、林郡長も千島報效義会視察を兼ね同船した。
翌明治31(1898)年にも軍艦武蔵は報效義会視察と北千島出猟アイヌの引き揚げのため派遣され、前年とこの年に同船していた根室毎日新聞主筆記者門馬豊次は同新聞に『千島周遊記』『武蔵艦便乗千島再航誌』を連載し、『ヤーコフ無事か』『みんな如何した』『誰も病人は無か』『猟はどうだ』と話しかけたところ、『みんな無事、病人は無い死人もいない、猟たんとある、臘虎二頭、膃肭臍獣一頭、熊が十二頭、海馬海豹は数知れぬ程、狐百四十獲った、鱒、紅鱒が八百尾はかり塩蔵した』と答え、最初の北千島での猟は、満足のいく結果となった。」と記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 民族学.文化人類学 (389 7版)
- 参考資料
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- 1 色丹島記 長見 義三∥著 新宿書房 2005.10 915.6/O/イ
- 2 根室市歴史と自然の資料館紀要 通巻27号 根室市歴史と自然の資料館 2015.3 Z101
- 3 根室新聞 [マイクロ資料] マイクロ・フィッシュ(製作) 1994 M/1654 根室毎日新聞1166号(明27.11.10)~4810号(明40.4.19)、2215号(昭12.5.14)~2840号(昭15.1.1)含む
- キーワード
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- 色丹島
- 強制移住
- 根室毎日新聞
- 門馬豊次
- アイヌ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵・事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304558