レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年03月30日
- 登録日時
- 2016/10/09 14:39
- 更新日時
- 2016/10/09 14:41
- 管理番号
- 県立長野-16-003
- 質問
-
解決
長野県の少年農兵隊(食糧増産隊)関係図書又は資料があったら知らせてほしい。(長野県全体の動向に関して)
- 回答
-
以下の資料を紹介。
1 「国立国会図書館デジタルコレクション」で以下の資料が閲覧できる。
・『日本終戦史 上巻』林茂[など]編 (読売新聞社 1962年)
・『村と農政』(昭和20年発行の第7巻第3号などに関連記載)
2 『信濃毎日新聞データベース』では次の記事が確認できる。
・昭和19年5月2日から6日の連載「少年農兵」
これらの資料や依頼者確認済みの『長野県史』などの記載から、少年農兵隊(甲種食料増産隊)は昭和
18年夏に創設が始まり、19年4月に本格的に全国的に展開されるようになったらしいので、当館で所蔵す
る同時期に発行された資料を確認したところ、以下のものに関係があると思われる記載があった。
3 『長野県勤労動員協議会状況 第1回』 長野県 1944年 【N366/3】 p28-29
(会議開催は昭和19年2月24日開催会議の記録のうち農政課長による農村労務事情の説明)
4 『長野県報』(当館所蔵のものはページ数から欠号が多いが、その中から見つかったもの)
(1)昭和19年2月21日付け 一九農政第一六三号 「食糧増産隊編成ニ関スル通牒」
(「国民学校卒業者にして満14歳以上19歳以下の男子」を対象としているが、「少年農兵隊」や
「甲種食糧増産隊」という文言は見えない。)
(2)昭和19年4月10日付け 十九地第二〇〇号「食糧増産推進ニ関スル通牒」
(「別紙」があり、『日本終戦史 上巻』で触れている、第一行目が「我等は皇国の少年農兵なり」
の「食糧増産隊綱領」が掲載されている。)
(上述の信濃毎日新聞の記事では、隊員が県立御牧ヶ原修錬農場で訓練を行っているという記載がある。
御牧ヶ原修錬農場は農業経営伝習農場、農業高等学園・農業専門学園、農業大学営農学部などを経て、
現在 は小諸市にある長野県大学校研修部だが、この歴史を記した『長野県農業大学校70年史』長野県
農業大学校 創立70周年記念事業実行委員会/編 長野県農業大学校 1983年 【N610/123】、
『土塊百年緑永遠』長野県農業大学校創立100周年記念誌・写真集編集委員会/編 長野県農業大学校創
立100周年記念事業実行委員会 2013年 【N610/123】、『農民養成50年のあゆみ』 長野県農業大
学校営農学部営農学科同窓会 1982年 【N610/130】などには、昭和18年4月1日に食糧増産隊長野
県本部が修錬場に併設されたという記載はあるも のの、少年農兵隊の訓練に関する記載は見られない。)
- 回答プロセス
-
1 当館未所蔵の『秘録少年農兵隊』を除き、依頼者の調査済み資料で内容を確認。
2 当館資料をキーワード検索。該当しそうなものはない。
3 国立国会図書館デジタルコレクションで検索。回答記載の資料が見つかる。
4 「信濃毎日新聞データベース」を確認。回答記載の記事が見つかる。
5 少年農兵隊が実施されたと考えられる期間発行の当館所蔵資料を確認(国民精神総動員、教育、農業など
が該当すると思われるが、数量自体多くない)。回答に記載した資料がある。
6 このほか、
『長野県政史 第2巻』長野県/編・発行 1972年 【N317/74/2】
『長野県会沿革史 第11編』 長野県議会事務局 1953年 【N314/19/11】
『同 第12編』 同上 1955年 【N314/19/12】
なども確認するが記載なし。
7 長野県立歴史館所蔵の県文書をウェブサイトから確認。同時期のもので関係がありそうなものは見つからな
い。
- 事前調査事項
-
・『長野県史 通史編 第9巻』長野県/編 長野県史刊行会 1990年
・『長野県史 近代史料編 第5巻(1)』長野県/編 長野県史刊行会 1991年
・『長野県史 近代史料編 第9巻』長野県/編 長野県史刊行会 1985年
・『長野県教育史 第3巻』長野県教育史刊行会/編・発行 1983年
・『長野県教育史 第15巻』長野県教育史刊行会/編・発行 1980年
・『秘録少年農兵隊』小野寺永幸/著 本の森 1997年
- NDC
-
- 日本史 (210)
- 農業 (610)
- 参考資料
- キーワード
-
- 少年農兵隊
- 甲種食糧増産隊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000197999