レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2012/01/26 17:48
- 更新日時
- 2024/10/30 15:03
- 管理番号
- 愛知県図-03140
- 質問
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解決
江戸時代の愛知県の特産品とされる岩堀菱について知りたい。どのような食材か、収穫時期、栽培地域、いつまで栽培されていたのか。
- 回答
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<岩堀菱について>
岩堀菱とは、岩堀村(現在の愛知県額田郡幸田町)にあった菱池(沼)という池で栽培されていた菱。実の角が二つあるのが特徴で、味が良いとして、江戸時代の多くの地誌に三河の特産品として記述がある【資料1~3】。
江戸時代にはその実が年貢として納められていたが、その後、各村の地先で新田開発が進み、1704(宝永元)年頃には菱の実は採れなくなっていった【資料4~6】。
<食材としてのヒシについて>
ヒシの実の収穫期は現在は秋だが、江戸時代の文献によると冬に収穫していたとされている。収穫した実のうち、若い子葉部分はそのまま皮を剥いて食べることができる。完熟したものは、茹でたり、蒸したりして食べ、あるいは乾かして粉にし、主食の代用にしたりする。茎や葉も野菜として食べることができる。果実は滋養強壮の効果や、酒毒、胎毒などの薬用になる。おもな加工品としては、焼酎や茶などがある【資料7~9】。
- 回答プロセス
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1.岩堀菱は江戸時代の特産品とのことなので、明治政府により編纂された百科事典である「古事類苑」を確認。
総目録索引で「菱」の項目を探し、【資料1】『古事類苑50 植物部 2;金石部』に「菱」についての記述(p.387-390)がある。『倭訓栞』(江戸後期の国語辞書)、『百姓伝記』(三河・遠江の農業に関する経験や伝承を記した農業技術書)、『毛吹草』(江戸時代の俳諧論書)、『国花万葉記』(元禄時代の全国各地の地誌)に、三河の名物として、岩堀菱についての記述があり、特徴として角が二つあることが挙げられている。
【資料2】『百姓伝記 下』を確認。「ひしを植る事」(p.169-170)に、「三河国岩堀と云村に池あり。此池に名物のひし有。近村の土民より合、冬春のうち取て喰ふ。または市町へも出し売なり。水底のひしを取に、こくうと云て板を以てはさみをこしらへ、柄をながく付、船に乗り、どろのそこをこくうにはさむ。」という記述あり。
2.【資料3】『日本歴史地名大系23 愛知県の地名』で「岩堀村」の項目(p707-708)を確認。現在の地名は「幸田町菱池」と記されており、慶安年間(1648-1652)には菱の実を年貢として納めていたことが書かれている。また、「菱池沼」の項目(p703)には、「現在は開発によって池は消滅し地名のみが、池の利用されていた名残をとどめる」という記述あり。
3.岩掘村が現在の愛知県幸田町にあったことがわかったので、【資料4~6】を確認。
【資料4】『幸田町史』の「第三節 菱池の舟役・鮒役・菱実役」(p285-288)で、江戸時代年貢で納めた菱の実についての記述があり、宝永元年には「「菱無之ニ付御年貢除之」と明記されてきている」と記されている。
【資料5】『幸田町史 資料編1』の「⑥菱池開発」の解説(p.355-361)では、菱池の開発について「寛文から延宝年間にかけて各村々は地先開発が進み地頭領の新田畑や見取場が拡大していった」と書かれている。
【資料6】『豊坂村誌』では古名所として菱池沼の記述があり、「緑野池、野場池、岩堀池、鷲田池等と云ふ(中略)菱池沼は元禄14年の地図には野場、岩堀、鷲田三ヶ村共有とあり 明治維新迄同様なりしも今は全く大字菱池に属す 明治17年開拓し後耕地整理により美田となる(中略)此池沼より二角菱、鯉、鮒等産せし事古書に載せたり 徳川幕府の頃当池産の二角菱、鮒、鯉等を以て米貢に換へて領主に納めたり 拠りて菱池と称せりと 是此の池の菱は米菱と称し 其形所謂正菱形にして殊に皮殻軟かにして脱皮容易なりしに依ると云ふ(中略)三才図会曰 岩堀菱皆二稜 無角者名三河菱」と書かれている。
4.そのほか参考図書の棚および、分類610(農業)の棚で、【資料7~9】を見つける。
【資料6】でも引用されている、江戸時代の百科事典【資料7】『和漢三才図会 16』では、菱の項目(p.91-92)で、野生の「野菱」と栽培種の「家菱」とに分類して書かれており、「家菱は陂塘(つつみ)にまく。葉・実ともに大きく、角はやわらかで脆く、また両角が弓のように湾曲しているものもある。色には青・紅・紫がある。嫩(わか)いときに剥(む)いて食べるが、皮は脆く肉は美味である。老いると殻は黒くて硬く、江中に堕ちる。これを烏菱(くろびし)という。冬月に取って風で乾して果とする。」と記されている。
【資料8】『日本農書全集 68』に収録されている『備荒草木図』(草木の食法と解毒法を記した植物の図集)では、「芰実(ひし)」(p.148)の食法として、「実、蒸、食ふ。又、晒、乾し、粉となし、餅に造り、或ハ粥となすべし。其茎も亦軟なるを採、晒、乾し、粮となすべし。」と記されている。
【資料9】『地域食材大百科 第4巻』によれば、ヒシについて「澱粉質の果実を産するが、茎葉も野菜として食用になる。採取した果実をそのまま茹でて食べる方法が一般的であるが、食用作物として擬禾穀類に分離される果実は、米麦などの穀類やいも類と同様、粒食・粉食品として利用できる。また、醸造用澱粉原料にもなる。(中略)その薬能として安中・補五臓、益気、健脾、滋養強壮の効果が、また、傷寒積熱を解し、酒毒、胎毒を解すとして解熱、解毒の作用があるとされてきた。(中略)ヒシはクリに似た風味と食感の果実を産するため、ミズグリ(水栗)ともよばれ古来秋の珍味として利用されてきた。」と記されている。また、栽培法については、春先に種ビシを播き、9~10月に手摘みで収穫する、と書かれている。ただし、江戸時代の文献である【資料2、7】の記述では、冬に収穫していたとされている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 農業 (610)
- 参考資料
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【資料1】古事類苑 50 植物部 2・金石部 神宮司廳藏版. 吉川弘文館, 1981. [復刻] p.387-390
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I142318148 (当館資料コード:1104313456) -
【資料2】古島敏雄 校注. 百姓伝記 下. 岩波書店, 1977. (岩波文庫) p.169-170
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001343588 (当館資料コード:1100022620) -
【資料3】日本歴史地名大系 23. 平凡社, 1981. p.703,707-708
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I10111100079007 , ISBN 4-582-49023-9 (当館資料コード:1101340567) -
【資料4】幸田町史編纂委員会 編. 幸田町史. 幸田町, 1974. p.285-288
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001213074 (当館資料コード:1101478087) -
【資料5】幸田町史 資料編1. 愛知県幸田町, 1994. p.355-361
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I23111182054975 (当館資料コード:1106618995) -
【資料6】左右田才次郎 編. 豊坂村誌. 国書刊行会, 1982. p.288-290
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001588703 (当館資料コード:1104101768) -
【資料7】寺島良安 [著] , 島田勇雄 [ほか]訳注. 和漢三才図会 16. 平凡社, 1990. (東洋文庫 ; 521) p.91-92
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002058527 , ISBN 4-582-80521-3 (当館資料コード:1105574930) -
【資料8】佐藤常雄 [ほか]編. 日本農書全集 第68巻 本草・救荒. 農山漁村文化協会, 1996. p.148
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002541832 , ISBN 4-540-96001-6 (当館資料コード:1107126241) -
【資料9】農山漁村文化協会 編. 地域食材大百科 第4巻 (乳・肉・卵,昆虫,山菜・野草,きのこ). 農山漁村文化協会, 2010. p.297-301
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011052609 , ISBN 978-4-540-09264-0 (当館資料コード:1110101119)
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【資料1】古事類苑 50 植物部 2・金石部 神宮司廳藏版. 吉川弘文館, 1981. [復刻] p.387-390
- キーワード
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- 岩堀菱
- ヒシ
- 岩堀村
- 幸田町
- 豊坂村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000100624