レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20130113
- 登録日時
- 2013/12/24 10:48
- 更新日時
- 2016/08/20 12:13
- 管理番号
- 町田-091
- 質問
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解決
1860~1865年頃のメキシコ銀(ドル)が当時の日本の通貨(1両)でいくらくらいだったのか知りたい。
(生麦事件の賠償額がイギリスポンドで11万ポンド=メキシコドル44万ドルだった。
〔1ポンド=4メキシコドル〕これが日本のいくらにあたるのか知りたい。)
- 回答
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『江戸と幕末』 冨成博 新人物往来社 2012年
『日本銀行金融研究所貨幣博物館 改定版』 日本銀行金融研究所 1991年
『シュリーマン旅行記 清国・日本』ハインリッヒ・シュリーマン 新潮社 1991年
より
メキシコドルは洋銀ともいわれ、
天保小判3枚(3両)=洋銀12枚なので、1両=洋銀4枚(4メキシコドル)
メキシコドル44万ドル=11万両になります。
- 回答プロセス
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●『江戸と幕末』
p192
「メキシコドルというのは・・・1824年からメキシコ産の銀で鋳造した
アメリカ合衆国の1ドル銀貨のこと。洋銀ともいう。」
p193
「洋銀4枚を日本で1分銀12枚に交換~さらに小判3枚に替える。」
但し、メキシコ銀と天保銀の銀量が違ったため銀の値打ちは違う。
金銀の比価として、
1ドル銀貨銀量→23.76g
天保1分銀の銀量→8.53gなので1両相当の1分銀4枚→34.12g
天保小判の金の量→6.38g
つまり金と銀の比価は6.38対34.12
アメリカの1対15に対し日本は1対5、アメリカより銀の値打ちが3倍高い。
●『日本銀行金融研究所貨幣博物館 改定版』
p41
図より
洋銀4枚=天保1分銀12枚
天保小判3枚=洋銀12枚
洋銀「改三分定(あらためさんぶさだめ)」の説明より
「開港後、洋銀1枚=1分銀3枚と交換された~
さらに幕府は洋銀に「改三分定」と極印を打って国内でも3分で通用させることを認めた。」と記載あり。
●『シュリーマン旅行記 清国・日本』
p164
メキシコ・1ピアストル(訳注より:メキシコドル)=天保1分銀 2.2個~2.5個の兌換率
実際には1ピアストル=天保1分銀 3.1個
「日本にいる全外交官、公使館、領事館の館員すべてと湾内軍艦の乗組員全員(提督から一兵卒まで)に対し
1ピアストル=1分銀3個 で一定額交換することを幕府は許可している。」と記載あり。
以下の資料には記載がありませんでした。
『数字でみる日本の100年』
『物価の文化史事典』
『物価の世相100年』
『江戸物価事典』
『明治大正国勢総覧』
『日本経済統計集』(明治・大正・昭和)
- 事前調査事項
- NDC
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- 貨幣.通貨 (337 8版)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 『江戸と幕末』 冨成博 新人物往来社 2012年 , ISBN 9784404042323
- 『日本銀行金融研究所貨幣博物館 改定版』 日本銀行金融研究所 1991年
- 『シュリーマン旅行記 清国・日本』ハインリッヒ・シュリーマン 新潮社 1991年
- キーワード
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- 為替レート
- 換金
- 洋銀
- メキシコドル
- 銀
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 為替相場
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000142333