レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/01/26
- 登録日時
- 2021/10/20 00:30
- 更新日時
- 2021/10/20 00:30
- 管理番号
- 6001050991
- 質問
-
解決
「吹田館」という映画館の歴史について知りたい。また、「吹田館」の写真はあるか。
- 回答
-
吹田市にあった「吹田館」という映画館について、次の資料に記載がありました。
■『読む産業史すいた』(吹田商工会議所創立五十周年記念誌編纂委員会/編集 1998.10 )
第2章(p.90-[235])の「商店街の復元」の項(p.117)に次の記載があります。
「テレビが家庭に普及する昭和三十年代後半まで、娯楽といえば映画や大衆演劇。吹田にも古くから芝居小屋や映画館が商店街近辺にたくさんありました。<中略>高浜神社裏に、「吹田館」と「吹田松竹」、豊津振興市場横に「豊津国際劇場」、片山地区では天道交番右隣に「片山日活」などが映画全盛の時代に多くの人を集めました。」
■『映画年鑑』
『映画年鑑』によると、「吹田館」は大正14年末には存在していたと考えられます。
また、1962年版から名称が「吹田館」から「吹田映劇」に変わっています。
・『映画年鑑 昭和編1-1 大正15年版 [復刻]』(日本図書センター 1994.4)
「全国映画常設館 所在地系統経営者氏名 名簿(大正十四年八月-十月調査)」(p.129-151)の「大阪市及附近」の項(p.143-144)に次の記載があります。
「[館名] 吹田館、[所在地] 三方郡[ママ]吹田町、[系統] 松、[館主又は支配人名] 山口常吉」(p.144)
・『映画年鑑 昭和編1-2 昭和2年版 [復刻]』(日本図書センター 1994.4)
「全国映画常設館名簿:附 各館本年度好評映画調査」(p.646-697)の「大阪府の部」の項(p.675-678)に次の記載があります。
「[館名] 吹田館、[所在地] 三島郡吹田町、[定員] 三六六[二桁目の「六」は印刷が不鮮明なため不確か]、[系統] 松、東、[電話] 吹田二九、[所有者] 山口常吉、[経営者] 同上、[支配人] 越村虎吉、[好評映画] [空欄]」(p.678)
・『映画年鑑 昭和編1-3 昭和3・4年版 [復刻]』(日本図書センター 1994.4)
「日本映画館名録」(p.243-304)の「大阪府」の項(p.278-282)に次の記載があります。
「[館名] 吹田館、[定員] 三六六、[所在地] 三島郡吹田町、[系統] 松[松竹]・日[日活]、[電話] 吹田二九、[経営者] 山口常吉、[支配人] 越村虎吉」(p.282)
・『映画年鑑 昭和編1-4 昭和5年版 [復刻]』(日本図書センター 1994.4)
「日本映画館名録(昭和五年六月現在)」(p.551-601)の「大阪府」の項(p.580-584)に次の記載があります。
「[館名] 吹田館、[定員] 三六六[二桁目の「六」は印刷が不鮮明なため不確か]、[所在地] 吹田町、[電話] 吹二九、[上映映画] 日、河、東、[経営者] 田中好久、[支配人] 北賀富次郎、[宣伝部] [空欄]」(p.583)
・『映画年鑑 昭和編1-5 昭和9年版 [復刻]』(日本図書センター 1994.4)
「(最新調査)全国映画常設館調査録」(p.406-456)の「大阪府」(p.432-436)に次の記載があります。
「[館名] 吹田館、[定員] 三六六、[所在地] 同[吹田町]宮裏、[電話] 二九、[上映系統] 新、[経営者] 齋藤實隆、[支配人] [空欄]、[トーキー] [空欄]」(p.436)
・『映画年鑑 1951年版』 (時事映画通信社 1951.1)
p.327-443「全国映画館総覧」(1950年9月1日現在)の「大阪府(165館)」(p.384-392)の「吹田市(3館)」(p.390)に次の記載があります。
「館名 吹田館、構造 木二、映写機 ミシンローラー、発声機 R.C.Aビクター、定員 368、系統番号 大 新[新東宝] 2、所在地 旭町通1010、電話 吹田189、経営者支配人 中島瀬六」
・『映画年鑑 1957年版 別冊 映画便覧』(時事通信社 1957.1)
「全国映画館録」(p.1-276)の「大阪府(総数三六四館)」(p.133-147)の「吹田市(三館)」(p.144-145)に次の記載があります。
「[館名] 吹田館、[所在地] 旭町一〇一〇、[電話](38)一八九、[経営者] 中島瀬六、[支配人] 中島瀬六、[構造] 木二[木造二階建]、[定員] 三六〇、[映写機] ローラー、[発声機] ビクター、 [電源] [空欄]、[系統] 大[大映]、[最寄駅] 吹田」
・『映画年鑑 1962年版別冊 映画便覧』(時事映画通信社 1962.1)
「全国映画館録」(p.1-334)の「大阪府(総数四三七館)」(p.163-181)の「吹田市(六館)」(p.176-177)に次の記載があります。
「[館名] 吹田映劇、[所在地] 旭町一〇一〇、[電話](38)〇一八九、[経営者 中島瀬六]、[支配人] 藤田東吾、[構造] 木一冷暖[木造平屋冷暖房]、[定員] 二八五、[映写機] セントラル、[発声機] ビクター、 [電源] セ[セレン整流器]、[系統] 宝[東宝]」
この年版から、「吹田館」から「吹田映劇」に変わっています。
なお、大阪府立図書館では1957年版と1962年版の間の版は所蔵していません。
・『映画年鑑 1990年版別冊 映画館名簿』(時事映画通信社 1989.12)
p.95に「吹田映劇」があり、所在地は「高浜町1-12」、代表者・支配人はともに「中島太郎」、構造は「木1」[木=木造モルタル建]、座席数は「250」、上映系統は「邦」[邦画各社混映]、と記載されています。
1989年版も同じ内容です。
1991年版には「吹田映劇」の記載はありません。
■『全国映画館録』
・『全国映画館録. 昭和5年4月現在』(キネマ旬報社 昭和5-11)※大阪府立図書館未所蔵
「国立国会図書館デジタルコレクション」で本文が閲覧できます。(2021/10/12現在)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1218259/8
「大阪府下」の部(p.9-10)のp.10に次の記載があります。
「館名 吹田館、所在地 吹田町、電話 二九・四一五、興行主 田中好久、同支配人 北賀富次郎、映画系統 日。河。東。」
・『全国映画館録. 昭和11年度』(キネマ旬報社 1936.6)※大阪府立図書館未所蔵
「国立国会図書館デジタルコレクション」で本文が閲覧できます。(2021/10/12現在)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1218264/23
「大阪府下」の部(p.25-26)のp.26に次の記載があります。
「館名 吹田館、所在地 吹田町宮裏一〇一、電話 一四五呼、興行主 齋藤宗隆、同支配人 [空欄]、映画系統 新、発声機名 [空欄]、映写機名 [空欄]」
■『全国映画館一覧』(聯合通信社 1946)※大阪府立図書館未所蔵
「国立国会図書館デジタルコレクション」で本文が閲覧できます。(2021/10/5現在)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1125775/20
「大阪府」の部(p.26-30)のp.29(コマ番号20/53)に次の記載があります。
「館名 吹田館、所在地 同[吹田市]旭町一、〇一〇、電話 吹田一八九、経営者 中島清六、定員 三六八」
■『全國映画館名簿』
『全國映画館名簿』によると、昭和33年版から名称が「吹田館」から「吹田映劇」に変わっています。
以下の資料は「国立国会図書館デジタルコレクション」で、図書館送信参加館の館内で本文の閲覧が可能です。
・『全國映画館名簿:附映画企業商社録. 昭和24年度版』(全國映画館新聞社 1949)※大阪府立図書館未所蔵
「大阪府」の部(p.63-69)のp.68(コマ番号72/131)に次の記載があります。
「[館名] 吹田館、[所在地] 同[吹田市]旭町、[系統] 大、[経営者] 中島精六、[支配人] [空欄]、[映写機] ローラー、[発声機] ビクター、[定員] 三六五、[電源] 直」
・『全国映画館名簿 [昭和33年4月現在]』(全国映画館新聞社 1958)※大阪府立図書館未所蔵
「大阪府」の部(p.218-241)のp.234(コマ番号148/331)「吹田市」の部に次の記載があります。
「館名 吹田映劇、所在地 同町[旭町]一〇一〇、電話 (38)一八九、系統 洋、経営者 中島瀬六、支配人 藤田東吾、技師長 藤田東吾、映写機 フジセントラル、発声機 ビクター、定員 四一五、電源 セ、着駅名 吹田、[暖房装置]、[冷房装置]」
・『全国映画館名簿 [昭和35年4月現在]』(全国映画館新聞社 1960)※大阪府立図書館未所蔵
「大阪府」の部(p.235-259)のp.252(コマ番号152/346)「吹田市」の部に次の記載があります。
「館名 吹田映劇、所在地 旭町通一〇一〇、電話 (38)〇一八九、系統 洋、経営者 中島瀬六、支配人 藤田東吾、技師長 藤田東吾、映写機 フジセントラル、発声機 ビクター、定員 三〇〇、電源 セ、着駅名 吹田、[暖房装置]、[冷房装置]」
■『写真集 明治大正昭和 吹田(ふるさとの想い出 303)』(池田半兵衛/編 国書刊行会 1985.5)
p.85「190 ストライキののぼり」に、吹田館の外観の写真が掲載されており、次の記述があります。
「吹田館は大阪民衆娯楽場と銘打っていた。『高級常設活動写真』とあるのぼり旗には贈り主が『日本美術友禅工組合北支部』と書かれている。明治・大正時代、吹田には神崎川を利用した友禅工場(伊東友禅工場・鍛冶友禅工場)があって第一次欧州大戦後三国紡績や友禅工場で、一方的な減員・解雇がありストライキが起こり、吹田活動写真館で組合の大会を開いた。その縁につながるのぼりである。」
■『不良少年の映画史 Part1』(筒井康隆/著 文芸春秋 1979.11)
「黄金狂時代」(p.[19]-30)に、次の記述があります。
「吹田にはこのほか、同じ中心部に吹田館という大映系の三流館と、旭館という松竹系の三流館があった。<中略>。吹田館の方へは大映の時代劇を見るためによく行ったが、今は吹田映劇となり、ポルノ映画専門になっている。三十年ぶりに行ってみるとどちらも建物は昔のままで、あたりの下町のたたずまいも昔とさぼど変らず、すいぶん懐しかった。」(p.28-29)
また、「密林の荒鷲(ヤング・イーグルス)」(p.[127]-138)に、次の記述があります。
「この頃はまだ近くの千里第二国民学校へ通っていて、金を盗んでは主に近所の山田という同級生と一緒に吹田東宝や吹田館に出かけていた。戦争末期の昭和二十年、五年生の時のことだ。映画館の入場料もさほど高くはなく、小銭で間に合ったのある。」(p.133)
■『筒井康隆全集 22』(筒井康隆/著 新潮社 1985.1)
「エッセイ 腹立半分日記」(p.[105]-282)に次の記述があります。
「[一九七七年]十二月二日(金)」の項に、「今日も大阪へ行く。<中略>及び吹田市内の映画館を取材してまわる。吹田市内の二軒だけを残し、あとはすべてなくなっていた。吹田映劇(旧吹田館)の前に立った時は懐かしさがこみあげた。三十年ぶりだったのだ。」(p.259)
■『明治・大正大阪映画文化の誕生:「ローカル」な映画史の地平にむけて(大阪都市遺産研究叢書 別集1)』(笹川慶子/著 関西大学大阪都市遺産研究センター 2012.3)
「『大阪時事新報』の映画館情報索引」(p.230-275)のp.236に「1926.2.3 吹田館」があります。
■『映画公社旧蔵戦時統制下映画資料集 第26巻 考査部資料入場人員調査表(1943年)』(東京国立近代美術館フィルムセンター/監修 ゆまに書房 2016.1)
p.170-32「考査部資料 第9輯(旧 統計資料) 昭和17年8月9月分 全国歩合館 興行収入 入場人員 調査表 附9月分 諸統計表」(社団法人 映画配給社 考査部編)のp.93に「館名 [吹田] 吹田館」があり、次の記載があります。
「八月分 興行収入 5,441 08 入場人員 18,548 九月分 興行収入 3,802 12 入場人員 12,909」
また、p.179-336「考査部資料第13輯 昭和17年10月,11月,12月分 全国歩合館 興行収入 入場人員 調査表」(社団法人 映画配給社 考査部)のp.256に「館名 吹田館」があり、次の記載があります。
「10月分 入場人員 14,371 興行収入 3,920 97
11月分 入場人員 16,023 興行収入 4,641 38 12月分 入場人員 8,925 興行収入 2,691 91」
どちらの表も、興行収入欄の最後の2桁の数字については凡例に説明はありませんが「銭」であると考えられます。
■『大阪時事新報マイクロ版 大正15年1月~2月』(日本マイクロ写真)
大正十五年二月三日(第7628号)三[面] 「キネマと演芸」の「常設館から」に次の記載があります。
「吹田館 現『海の誘惑』(栗島主演)時『赤城嵐』(森野主演)活『金■に咲く花』」
(■は写りが悪く判読不能。)
■『日本経済新聞』1989年9月2日大阪 夕刊 p.30(日本経済新聞記事データベース「日経テレコン21」で確認)
「関西トレンディ――関西の自主上映がんばってます、名画への思い東京に負けぬ。」という記事に、次の記述があります。
「これらに比べ規模は小さいが、十年前からユニークな作品上映を続けているのが茨木市に本拠を置くサークル・イノセント。JR吹田駅前の吹田映劇を使って毎月最低一週間はフィルムを回す。」
■『市報すいた』1994年4月25日号<755>(吹田市 1994.4)
「吹田まちめぐり 朝日町」[表紙]に、次の記載があります。
「戦前・戦後、劇場や映画館が多くありました。元町の朝日座、山口席(のち吹田東宝、三栄市場、現在の市営駐車場)、高浜町の角座、昭和町の旭館(のち吹田東映)、高浜町の吹田館(のち吹田映劇)などです。」
「しかし、平成2年まであった吹田映劇を最後に、朝日町周辺だけでなく吹田市内の映画館はなくなってしまいました。」
[事例作成日:2021年10月12日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 映画 (778 10版)
- 参考資料
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- 映画年鑑 昭和編1-1 [復刻] 日本図書センター 1994.4 (p.144)
- 映画年鑑 昭和編1-2 [復刻] 日本図書センター 1994.4 (p.678)
- 映画年鑑 昭和編1-3 [復刻] 日本図書センター 1994.4 (p.282)
- 映画年鑑 昭和編1-4 [復刻] 日本図書センター 1994.4 (p.583)
- 映画年鑑 昭和編1-5 [復刻] 日本図書センター 1994.4 (p.436)
- 映画年鑑 1951年版 時事映画通信社 1951 (p.390)
- 映画年鑑 1957年版 別冊 時事通信社 1957 (p.144-145)
- 映画年鑑 1962年版別冊 時事映画通信社 1962 (p.176-177)
- 映画年鑑 1990年版別冊 時事映画通信社 198912 (p.95)
- 写真集 明治大正昭和 吹田 池田/半兵衛∥編 国書刊行会 1985 (p.85)
- 不良少年の映画史 Part1 筒井/康隆∥著 文芸春秋 1979.11 (p.28-29, 133)
- 筒井康隆全集 22 筒井/康隆∥著 新潮社 1985.1 (p.259)
- 明治・大正大阪映画文化の誕生 笹川/慶子∥著 関西大学大阪都市遺産研究センター 2012.3 (p.236)
- 大阪時事新報マイクロ版 日本マイクロ写真 大正15年1月~2月 (大正15年2月3日(第7628号)3[面])
- 映画公社旧蔵戦時統制下映画資料集 第26巻 東京国立近代美術館フィルムセンター‖監修 ゆまに書房 2016.1 (p.93, 256)
- 読む産業史すいた 吹田商工会議所創立五十周年記念誌編纂委員会∥編集 吹田商工会議所 1998.10 (p.90-235)
- https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1218259/8 (「国立国会図書館デジタルコレクション『全国映画館録. 昭和5年4月現在』」)
- https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1218264/23 (「国立国会図書館デジタルコレクション『全国映画館録. 昭和11年度』」)
- https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1125775/20 (「国立国会図書館デジタルコレクション『全国映画館一覧』」)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000306245