レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/01/23
- 登録日時
- 2021/02/10 00:30
- 更新日時
- 2021/02/10 00:30
- 管理番号
- 6001048394
- 質問
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解決
書家の村田海石について知りたい。
- 回答
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村田海石については、次の資料に記載がある。
■『大阪人物辞典』(三善貞司/編 清文堂出版 2000.11)
「村田海石」の項目(p.1143-1144)に「書家」とあり、「明治前期の小学校草創時に用いられた習字教科書の字は、大抵が海石の書である。」と書かれている。
天保7年(1836)大坂の立売堀生まれ、明治45年(1912)没。江戸で書を学んだ後、大坂の広小路(現在の中央区)に書道塾を設け、明治維新後には中国に渡り、帰国後に十二軒屋町(現在の中央区)に新築した教授所で多くの門人たちを育成したとある。門人として玉木愛石、西脇呉石の名が挙げられ、四天王寺に顕彰碑が建っていることも書かれている。
■『大阪人物誌 正編』(石田誠太郎/著 臨川書店 1974)
石田文庫 昭和2年刊の復刻。p.510-511に「村田海石」の項がある。
また、『大阪人物誌 続編』(石田誠太郎/著 臨川書店 1974 ※石田文庫 昭和11年刊の復刻)にも、p.285-286に「再補」として「邨田海石」の項があり、没年と墓所、碑文が記載されている。
■『東区史 第5巻 人物篇』(大阪市東区法円坂町外百五十七箇町区会/編纂 大阪市東区役所 1939.12)
「第七章 書家」に「村田海石」の項目がある(p.581-583)。
p.582に「村田海石肖像」が載っている。
■『日本書道史』(奥山錦洞/著 啓文社書店 1927)
「第七章 明治時代の書道 (上)総説」の「三六、村田海石」の項目(p.320-321)に、人物説明とともに「その書「三体千字文」、「隷書千字文」も広く世に行はれた。」などの記載がある。
■『日本書道文化史』(服部北蓮/著 日本習字普及協会 1965)
「第七章 明治以降の書道 第三節 楊守敬の来朝と六朝書風の流行」の「明治・大正の書人(一)」に「旧来の唐様の伝統書法を継承して書名のあった者を列記すれば、次の如くである。」と書かれ、列記された中に「村田海石(大阪―明治四十五年四月没)」の名前がある(p.182-183)。
■『日本書道の系譜』(中田勇次郎/著 木耳社 1970)
「明治時代の書における伝統と革新」の「江戸時代以来の書系」(p.309-311)の中で、「晋唐派すなわち古体派」について述べた文章に次の記載がある。
「幕末になって、この晋唐の書をよく学ぶ人があらわれ、また一派をなした。一人は巻菱湖であり、(中略)その門では、(中略)明治に及んで中根半嶺、(中略)村田海石などにいたり、東都を中心としてひろく流行した。」(p.310)
[事例作成日:2021年1月23日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 書.書道 (728 10版)
- 参考資料
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- 大阪人物辞典 三善/貞司∥編 清文堂出版 2000.11 (1143-1144)
- 大阪人物誌 正編 石田/誠太郎∥著 臨川書店 1974 (510-511)
- 大阪人物誌 続編 石田/誠太郎∥著 臨川書店 1974 (285-286)
- 東区史 第5巻 大阪市東区法円坂町外百五十七箇町区会∥編纂 大阪市東区役所 1939.12 (581-583)
- 日本書道史 奥山/錦洞∥著 啓文社書店 1927 (320-321)
- 日本書道文化史 服部北蓮著 日本習字普及協会 1965 (182-183)
- 日本書道の系譜 中田/勇次郎∥著 木耳社 1970 (310)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000293672