レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/03/16
- 登録日時
- 2020/04/01 00:30
- 更新日時
- 2020/04/01 00:30
- 管理番号
- 6001043263
- 質問
-
解決
明治期の大阪書道界で、「観鵞会」という団体が活動していたらしい。設立年と、設立に関わった関係者、特に高谷恒太郎氏について知りたい。
- 回答
-
「観鵞会」については、次の資料に記述がありました。
・『明治書道史夜話』(近藤高史/著 芸術新聞社 1991.10)
「第6章 明治末期の書道界」の「書家団体と雑誌」の項に、観鵞会について記述がありました。
「一方大阪でも同じ[明治]四十年、観鵞会が創立されました。幹事は岩下清周、緒方正清、小川為次郎、田村太兵衛、高屋(ママ ※引用者注)恒太郎、村山龍平、上野理一、藤沢南岳、菊池常三郎、芝川又右衛門、島村久、本山彦一、鈴木左馬也の十三人で、毎年一回選書の展覧会を開催することになりました。高田竹山、小林卓斎、山田永年等が審査を担当しています。」(p.198)
・『書道』6(7-12)(泰東書道院出版部 1937)
高田竹山/著「大阪の観鵞会」(p.44-45)が収録されています。
この文章によると、大阪で弁護士を開業していた高谷恒太郎氏が、大阪毎日の本山彦一氏、大阪朝日の「上野、村山両氏」、「内藤湖南、磯野秋渚諸氏」とともに「書道殊に古書法」の研究を始め、これらの諸氏と図って「観鵞会といふものを組織し、現代の書家の筆迹を集めて展観し、又学徒の筆に成る者も展観審査して賞品を授けるといふことにした」とあります(p.44)。
時期についてはっきりとした記載はありませんが、「それが十余年の後即ち今日の書道の盛運を来したといふことは、時代とは申しながら隔世の感がある」という記述があります(p.45)。
また、「高谷恒太郎」氏については、次の文献にも記載がありました。
・『大阪人名資料事典 第1巻 関西人名資料シリーズ 大阪現代人名辞書』(日本図書センター 2003.5)
大正2年、文明社刊「大阪現代人名辞書」の復刻です。
p.424-425に「高谷恒太郎君(弁護士)」の項があります。法律家、弁護士としての経歴が中心で、「君深く茶道に趣味を有し、故藤田伝三郎、広瀬宰平、磯野小右衛門、松本重太郎等と交会して毎に風流を談ぜしと」といった記述はありますが(p.425)、書道に関する記載はありません。
なお、同氏の生年月日は、嘉永4(1851)年8月25日生まれとあります。
〔事例作成日:2020年3月16日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 書.書道 (728 10版)
- 参考資料
-
- 明治書道史夜話 近藤/高史∥著 芸術新聞社 1991.10
- 書道 泰東書道院出版部 6(7-12)
- 大阪人名資料事典 第1巻 日本図書センター 2003.5
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000279928