レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月29日
- 登録日時
- 2017/02/14 13:36
- 更新日時
- 2020/07/28 11:22
- 管理番号
- 中野0785
- 質問
-
解決
満洲、牡丹江(ムータンチャン)の近くに「ラコ日本人強制収容所」があったらしい。
その場所と詳しいことがわかる資料がほしい。
- 回答
-
ラコは拉古と表記されていた。位置は、牡丹江と海林の中間辺り。
終戦後の日本人集結地の一つで、日本が使っていた兵舎等を使った。
【資料1】『満洲・朝鮮復刻時刻表』日本鉄道旅行地図帳編集部/編,新潮社,2009年(686.5/マ)
「満洲支那汽車時刻表」
【資料2】『シベリア抑留全史』長勢了治/著,原書房,2013年(210.7/ナ)
- 回答プロセス
-
・「ラコ 満洲」で検索したところ、PDFで公開されている『大地を拓いた女たち 満洲開拓から近代農業に行き着いて』石原八重子/著より、「ラコ」=「拉古」である事がわかる。
http://ooyasima.jp/pdf/kaitakuwohiraitaonnnatachi.pdf
・【資料2】p.78「集結地」 停戦後、武装解除をし、指定の集結地に移動したとあり。p.81に集結地のリストあり。その中に「拉古」もあり。
・【資料1】「満洲支那汽車時刻表」巻頭の路線図に「拉古」表記あり。「牡丹江」と「海林(ハイリン)」の間。
・平和祈念展示資料館HP上で公開されている、「労苦体験手記」「シベリア強制抑留者が語り継ぐ労苦(抑留編)」第11巻の中にある、坂井文介さんという方が書かれた「シベリア抑留記」によると、拉古は日本軍の病馬廠があった場所で、広い草原の上にあった兵舎が、日本軍の捕虜収容所として使われていたらしい。
http://www.heiwakinen.jp/library/shiryokan/yokuryu11.html
・アジア歴史資料センター
https://www.jacar.go.jp/
「拉古 収容所」で検索。6件ヒット。
・アジ歴グロッサリー
「拉古」でヒットなし。
https://www.jacar.go.jp/glossary/
[最終アクセス:2016年4月29日]
- 事前調査事項
- NDC
-
- 鉄道運輸 (686)
- 日本史 (210)
- 地理.地誌.紀行 (290)
- 参考資料
- キーワード
-
- 日本人強制収容所
- 満州
- 牡丹江
- ムータンチャン
- ラコ
- 拉古
- ソ連
- シベリア抑留
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000209783