レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2025年04月01日
- 登録日時
- 2026/03/04 09:00
- 更新日時
- 2026/03/18 15:12
- 管理番号
- 中央-1-0021893
- 質問
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解決
北条氏の小田原征伐の際に、徳川家康の配下が関東に移動してきた。その中の木内という姓の人について情報を知りたい。
- 回答
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参考資料に記載した【資料1】をご紹介した。
- 回答プロセス
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国立国会図書館デジタルコレクションで検索、所蔵資料を確認。
参考資料【資料2】~【資料4】でも、木内家の情報が確認できた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 参考資料
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【資料1】浦和市総務部市史編さん室 編. 浦和市史 通史編 2. 浦和市, 1988.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001969624 (p146「宿の木内五郎家は、遠祖の木内兵馬が下総国(現千葉県) 香取郡木内村の出身で千葉氏に仕えていた。その後えいが千葉氏所領の足立郡大窪郷の代官として来住したのが始まりという。」近世以降の世襲や初代についても書かれている。
p155「元和期の太田窪村は(中略)小田原の北条氏の配下江戸衆千葉氏の所領として、その臣木内右衛門の拠った所であり」
p508「宿村の木内家は、もと後北条氏の給人層で千葉氏の代官を務めた家柄で、近世以降は宿村の名主を世襲している。」) -
【資料2】浦和市総務部市史編さん室 編. 浦和市史 通史編 1. 浦和市, 1987.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001888642 (p606 永禄三年(一五五九)成立の『小田原衆所領役帳』の内容について書かれている。
「江戸衆千葉殿領分に「一貫文 同(上足立) 大多窪」とあって-略-武蔵千葉氏が、江戸衆としてこの地に一貫文の知行地をもっていたことが知られる。-略-千葉国胤の家臣、木内右衛門に命じて大田窪の堀の内に陣屋を構えて居住させたとあり」) -
【資料3】茂木和平 著. 埼玉苗字辞典 第2巻. 茂木和平, 2006.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I15111107455636 (p2642「木内」六項 【資料1】【資料2】と同様の情報が書かれている) -
【資料4】木内家文書目録 : 武蔵国足立郡植田谷領宿村. 浦和市立郷土博物館, 1976. (浦和市立郷土博物館研究調査報告書 ; 第3集 別冊)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007961594 (p3に「木内家」あり。
「伝承によれば遠祖木内兵馬は下総国香取郡木内村より当地に移ったというが、その年代等は不明である。また、慶長19年没の初代五郎右衛門以下の代々は以下のとおりである。」として一覧あり。)
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【資料1】浦和市総務部市史編さん室 編. 浦和市史 通史編 2. 浦和市, 1988.
- キーワード
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- 木内氏
- 千葉氏
- 北条氏
- 大田窪
- さいたま市浦和区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000381314