レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2025年07月01日
- 登録日時
- 2025/10/07 16:09
- 更新日時
- 2026/03/12 10:46
- 管理番号
- 千県東-2025-0001
- 質問
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解決
幕末に横浜、函館、長崎が開港になったが、なぜ横浜が選ばれたのか知りたい。
- 回答
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以下の資料に記載があった。
【資料1】『幕末・明治の横浜』(斎藤多喜夫著 明石書店 2017)
p20~21 当初は神奈川-横浜一帯を開港場とする予定だったが、神奈川宿は東海道沿いに位置し、参勤交代の大名行列等の往来等、外国人との間にトラブルが予想されたため、取り締まりがしやすい横浜に限定した。また、横浜地先は、大型船の碇泊に適しており、背後に市街地として開発しうる広大な新田地域が存在したとの記述がある。
【資料2】『横浜の波止場から』(阿川尚之著 NTT出版 2010)
p23~29「横浜開港」
日米修好通商条約にある「神奈川」は、江戸時代より宿場町として栄え、また海上交通の要衝だった。しかし、参勤交代の行列がしばしば通ること、外国人とのトラブルが起きかねないことを懸念した幕府が神奈川の開港をいやがり、条約で約束した神奈川の一部であるとして横浜に波止場を設置したとの記述がある。
【資料3】『横浜船と港ものがたり』(宮野力哉著 東京堂出版 2004)
p9 神奈川が不適当な理由と、横浜は野毛山に阻まれた陸の孤島のような場所で、海に囲まれた砂洲を開港地にすると隔離できると考えたなどの記述がある。
【資料4】『横浜港史 総論編』(横浜港振興協会編 横浜市港湾局企画課 1989)
p38 ハリスは江戸・品川の開港を提唱したが、これに対し、岩瀬忠震が神奈川(横浜)に変更することを主張した。また、開港の際、横浜は神奈川のうちであると強弁し、横浜村に都市計画を進めたなどの記述がある。
【資料5】「神奈川VS横浜」(館報「開港のひろば」第83号 横浜開港資料館)
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/083/083_03.html
神奈川と横浜の地理的な違いと幕府側の思惑について書かれている。
【資料6】「みなとへGO! 横浜港の歴史(1)」(横浜市)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kanko-bunka/minato/taikan/manabu/rekishi/history1.html
日米修好通商条約の交渉時や横浜開港後の様子について書かれている。
- 回答プロセス
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1 千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」で件名「横浜港」を検索したところ、【資料2】【資料3】【資料4】が見つかった。
2 「213.7(神奈川県)」の棚を確認し、【資料1】が見つかった。
3 Googleで「日米修好通商条約 横浜」と検索。【資料5】と【資料6】が見つかった。
以下は確認したが情報が見つけられなかった資料
『幕末の開港都市・横浜』(横浜開港資料館編 戎光祥出版 2024)
『横浜港史 総論編』(横浜港振興協会編 横浜市港湾局企画課 1989)
(インターネット最終確認日:2025年10月1日)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 海運 (683 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『幕末・明治の横浜』(斎藤多喜夫著 明石書店 2017)(2102796079)
- 【資料2】『横浜の波止場から』(阿川尚之著 NTT出版 2010)(2102320328)
- 【資料3】『横浜船と港ものがたり』(宮野力哉著 東京堂出版 2004)(2101754412)
- 【資料4】『横浜港史 総論編』(横浜港振興協会編 横浜市港湾局企画課 1989)(0105068764)
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【資料5】「神奈川VS横浜」横浜開港資料館
(http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/083/083_03.html) -
【資料6】「みなとへGO! 横浜港の歴史(1)」横浜市
(https://www.city.yokohama.lg.jp/kanko-bunka/minato/taikan/manabu/rekishi/history1.html)
- キーワード
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- 横浜港
- 日米修好通商条約
- 横浜市-歴史-江戸時代
- 日本-歴史-幕末期
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000375014