レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年03月04日
- 登録日時
- 2009/03/04 09:53
- 更新日時
- 2009/03/04 09:53
- 管理番号
- 2009-01
- 質問
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解決
昭和30年代頃に一度台風のために倒壊した雄山神社内の「立山開山堂」の来歴について知りたい。 (現在の開山堂は再建されたらしい)
- 回答
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『富山県大百科事典』には、「特集 立山連峰」の「雄山神社」の項目に芦峅寺(現立山町)にある社に関する記述がある。開山堂については、慈興上人坐像が堂内に安置されていることを記すが開山堂の詳しい来歴について記述はない。
『立山町史』上巻には、重要文化財の慈興上人坐像について記述がある。また、下巻には、「伝承による村々のおこり」「芦峅寺」には、雄山神社開山堂に鎌倉時代の作といわれる慈興上人の木像坐像設置の経緯について記述がある。しかし、この文献には、開山堂の来歴について詳しい記述はない。
『山と信仰 立山』には、「芦峅寺・雄山神社中宮」の中では次のように記述されている。それには、「芦
峅中宮境内中央に開山慈興上人の土盛り(墓)があり、その前に元は開山堂の建物が建っていたが、昭和40年台風で倒壊、立山博物館背後の山麓に移してコンクリートで再建」とある。
『立山信仰の源流と変遷』には、約10ページにわたり「立山開山御廟」について記述があり、開山堂の
変遷(来歴)については、この文献が最も詳しい。それには、開山堂が室町時代の建築であること、昭和15年に取り壊されたこと、昭和28年に新様式で再建されたこと、昭和40年の台風で大木が倒れて破壊したこと、その後、文化庁が御堂を新築したことを記述している。また、立山開山慈興上人、芦峅寺開山講についても記述がある。この本の著者・佐伯幸長氏は、雄山神社宮司を経て同社名誉宮司および立山神道本院を主宰し立山芦峅寺一山役頭職を務めている。
- 回答プロセス
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①郷土総合百科事典の役割をもつ『富山大百科事典』で調査をする。
②立山開山堂が立山町芦峅寺にあることから郷土資料『立山町史』で調査をする。
③立山信仰と立山開山の視点から郷土資料『立山信仰の源流と変遷』等で調査をする。
- 事前調査事項
- NDC
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- 原始宗教.宗教民族学 (163 8版)
- 参考資料
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- ①『富山大百科事典』 北日本新聞社/編・発行 1994年刊
- ②『立山町史 上巻/下巻』 立山町/編・発行 1977年刊
- ③『山と信仰 立山』 廣瀬誠、清水巌/著 佼成出版社/発行 1995年刊
- ④『立山信仰の源流と変遷』 佐伯幸長/著 北日本出版社/発行 1973年刊
- キーワード
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- 立山信仰
- 雄山神社
- 立山開山堂
- 立山芦峅寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000052060