レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年12月31日
- 登録日時
- 2010/01/27 13:36
- 更新日時
- 2011/01/05 14:37
- 管理番号
- さいたま-南-20100001
- 質問
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解決
南浦和小学校付近に“焼米坂(やきごめざか)”という坂があるが、名称の由来を知りたい。
- 回答
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別名、浦和坂。中山道を江戸から荒川を渡ってくると最初に出合う坂で、この坂を上りきると浦和宿になる。
江戸時代に書かれた『新編武蔵風土記稿』の「根岸村」の項に、「焼米坂 村の北の街道の内にあり、上り一町半許の坂なり、此所にて古来より焼米をひさぐ故に名づけり」とあり、江戸時代、中山道を通る旅人に“焼米”を売る店があり、それが名物となり名付けられたとされている。
『江戸名所図会』には“名物新やき米”の看板を掲げた茶店を見ることができる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 日本 (291)
- 交通史.事情 (682)
- 参考資料
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- 『わがまち浦和 改訂版』 浦和市総務部行政資料室 p142-143
- 『埼玉ふるさと散歩 浦和市・与野市』 さきたま出版会p54-55
- 『中山道浦和宿(浦和歴史文化叢書)』 さきたま出版会 p9
- 『ウォーク・イン・中山道浦和宿』 さいたま市立浦和博物館p7 (大正初期の焼米坂の写真、および『江戸名所図会』の掲載あり)
- 『図説浦和のあゆみ』 浦和市総務部行政資料室 p127 (『江戸名所図会』の掲載あり)
- 『LOVE浦和』 浦和市 巻頭 (大正初期の焼米坂の写真掲載あり)
- 『目で見る浦和の100年』 郷土出版社 p34 (大正初期の焼米坂の写真掲載あり)
- 『新編武蔵風土記稿 第7巻(大日本地誌大系13)』 雄山閣 1977 p250 (巻之百四十二 足立郡之八 根岸村 の項 )
- キーワード
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- さいたま市南区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000062438