レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/04/05
- 登録日時
- 2025/12/27 00:30
- 更新日時
- 2025/12/27 00:30
- 管理番号
- 0000001654
- 質問
-
未解決
加賀象嵌あるいは加賀象眼の名称がいつ頃から使われるようになったか知りたい。
- 回答
-
「加賀象眼」と直接記している文献は見当たりませんが、江戸時代初期より加賀藩の名物・産物として扱われていたことがうかがえます。
1.『加賀象嵌史考』について
「加賀の国に於て、最初に象嵌の仕事を始めたのは、天正9年前田利家が能登国府中城(七尾城)の領主となり、京都から後藤琢乗を招き稼業させた事からである。」(p15)
「天明年間、大阪の人稲葉満通龍によって書かれた「装剣奇賞の評を採用した。なお本書にその頃の全国的な秀でた彫工家系が記されているので加賀彫工を全国的に俯瞰する意味で記載した。これによると加賀彫金が広く世に知られていた事が判る。」とあり、
加賀藩の彫工の家系として14家が記載されています。
2.本谷文雄「加賀象嵌鐙」(『甲冑武具研究』1989年87巻所収)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/pid/7952124/1/4 送信サービス館にて閲覧可能)について
・先行する文献資料を提示した上で「加賀象嵌鐙の源流は江戸時代初期と考えるのが妥当であろう。」(p4)とあります。
・「加賀象嵌鐙は江戸時代三百年余を通して加賀藩の名物・産物であり、なかには献上品までもあり、かなり生産されていたことが分かる。」(p5)とあり、その根拠となる文献を5点紹介されていますのでお知らせします。
(1)『象眼師系圖』(江戸時代の金澤の象眼師を詳細に伝える):年未詳 「金澤象眼師」の記載あり
(2)『十二冊定書會所條目部』:年未詳 「當國名物献上方象眼鐙」の記載あり
(3)『加賀往来』:寛文12年(1672) 名物として「象嵌鐙・大正持焼茶碗」の記載あり
(4)『三州名物往来』:元禄・元文頃(1688~1740頃) 「凡領國加越能三州服食器財名物者 加賀絹・同染物・染手鋼・象眼鐙・鍔小柄」と記載あり
(5)『和漢三才図会』:正徳2年(1712) 加賀国の土産の項に「鐙」・「象眼彫」と記載あり
3.「加賀象嵌」の名称のはじまりについて
上記2点より加賀象嵌の起源を記載した資料は見つかりましたが、「加賀象嵌」という呼称がいつから呼びならわされていたかについて書かれた資料は見当たりませんでした。
(Web最終確認日:2023/3/29)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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大正二年の石川県物産陳列館「出品人名録」に当時金属工芸工房の宣伝広告が記載されている。多くは旧銅器会社解散後
に独立した工房であるが「加賀象嵌」の文字を掲げるのは水野源六工房のみのようです。
(上は加賀象嵌職人より、p28,29)
石川県立歴史博物館の資料「加越能名物産物番付(文久元年、1861)」には金沢鐙、金沢象眼の文字が表記されている。(「
甲冑・鐙・刀装具 加賀藩の技とデザイン」石川県立歴史博物館図録p94,p116)
以上が私が把握している内容です。
- NDC
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- 工芸 (75 9版)
- 参考資料
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- 1 加賀象嵌鐙 本谷文雄∥著 『甲冑武具研究』1989年87巻所収
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2 加賀象嵌史考 南部 勝之進∥著 南部勝之進 1986.10 K756/16
- キーワード
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- 加賀象嵌
- 加賀象眼
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000378722