レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年4月10日
- 登録日時
- 2018/04/10 17:19
- 更新日時
- 2018/05/02 10:19
- 管理番号
- 小野30-025
- 質問
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解決
室町時代ごろに「闘茶」というものがあったらしいが、どのようなものか?
- 回答
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中国宋から伝わり、鎌倉末期から室町中期にわたって人気をよんだ茶会の一つ。
本茶(栂尾 とがのお)と非茶(それ以外の産地の茶)を飲み分ける。一種の博奕(ばくち)であるため、茶勝負とか茶湯勝負ともいわれた。
日本に伝えられてからは、はじめは「本非茶勝負」と呼ばれていたが、のちには「四種十服茶(ししゅじゅっぷくちゃ)」とか「十種茶」とか「十服茶」などと呼ばれるように三種一客という4種類の茶で10服飲んで、それを飲み当てることを基本とするようになった。
『建武式目(けんむしきもく)』(注1)で禁止されたが、ますます盛んになった。
そのため、「七十服茶」とか「百服茶」といった、「十種茶」を7回、10回と重ねていくまでにエスカレートしていった。
①『原色茶道大辞典』 淡交社 1980年 P653
②『国史大辞典 10』 吉川弘文館 1989年 P173
③『遊びの大事典』 東京書籍 1989年 P654
④『日本大百科全書 16』 小学館 1987年 P735
資料によって解説の違いがあり。
「本茶」について:
②「栂尾に限らず、宇治茶も加えるようになった。」
③「室町時代には宇治茶が名声を高め、これを「本茶」とするようになったともされる。…「茶」は参加者が「本茶」とそれ以外の産の「非茶」を一種それぞれ持ち寄るのが原則であった。」
「本非十種茶」の闘茶の方法について:
③「各自が持ち寄った茶を「本非」1組ずつ出し、それを十服飲んで「本茶」か「非茶」かを判断するものであったとされる。この二者択一の闘茶の競戯はやがて「四種十服茶」の競戯になり、これが「闘茶」の標準的方法として行われる。」
「四種十服茶」の方法について:
①「四種の茶のうち、三種は各三服、残った一種(これを「客茶」ともいい、試し飲みをさせなかった。三種分についても試し飲みをさせない場合は「無試茶」といった)は一服し、計十服分について技を競うもので、七十服茶や百服茶というのも四種十服の茶勝負を七回あるいは十回繰返したものと考えられる。」
②「四種の茶のうち、試飲つきのルールの場合は、三種の茶を各四袋ずつ作って、その一袋ずつを試飲に供する。客は、それぞれを一の茶、二の茶、三の茶と味と香りで記憶する。残った三種、各三袋、計九袋の茶に、さきには試飲をしなかった茶(客茶といい、記録では「客」のじのウ冠をとって「ウ」と表記する)一袋を加えて十袋とし、これを順不同でたてて飲ませる。客は記憶に従って、一、二などの記号で答え、十腹を飲み終わったのちに正解が示され、勝負が決まる。」
③「4種類の茶を十服するわけだが、3種類は3回ずつ出されて九服、あと1種の「客茶」と呼ばれる茶が1回出されて十服としたのである。そして飲んだ十服の茶すべてについて、本非だけでなく、その種類を当て、言い当てた数を採点した。この「四種十服茶」を5回繰返すのが「五十服茶」、十回重ねるのが「百服茶」であったとされている。「客茶」以外の3種の茶は1服ずつの試茶をさせたが、「客茶」だけが試し飲みがなく、そのために「客茶」と呼んだといい、「闘茶」の記録文書には略して「ウ」と記されている。」
室町時代中期以降の闘茶について:
①「闘茶会は殿中(書院)茶湯の洗練化あるいは草庵茶湯への傾斜のなかでしだいに廃れ、江戸時代には茶かぶき、つまり本筋でない異相の茶湯と呼ばれるようになるが、江戸時代中期、如心斎宗佐(じょしんさいそうさ)らによって制定された七事式(注2)の一つに加えられ今日に至っている。」
②「多大の掛物や饗膳飲酒を伴う闘茶は次第に衰退し、十六世紀になると儀礼化したり、地方の文化に残存するばかりとなった。
わび茶の発達はこうした享楽的な遊びを排したが、それでもカブキ茶(または茶カブキ)として一部に保存された。カブキ茶とは秤の傾く(カブク)ことで軽重を知るところから出た茶の異同を知る遊びの名称である。
また、群馬県中之条町には「お茶講」という闘茶の行事が今も伝えられている。はたして中世の闘茶が続いているものか断定できないが、少なくとも十九世紀初頭まではさかのぼれる民俗行事で、今は四種七服となり、花鳥風月の仮の名を客に付けるところも古風で注目される。」
③「こうした遊興性の強い「闘茶」の賭興行は、一方禅の寺院に当時成立した「茶事」「茶礼」とつながり、室町時代後期に「一期一会」「一座建立」を旨とする数寄茶、「茶の湯」の母体となるのである。」
(注1)「建武式目(けんむしきもく)」
『国史大辞典5』 吉川弘文館 1985年 p228
足利尊氏が幕政の参考に資する目的で鎌倉幕府評定衆であった二階堂道昭(是円)ら八人に諮問したところ、答申があり、答申のとおりに法令として制定公布したもの。
(注2)「七事式(しちじしき)」
①P426「茶道の心技練磨を目的として制定された七つの式作法」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本語 (031)
- 日本史 (210)
- 茶道 (791)
- 参考資料
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井口 海仙/監修 , 末 宗広/監修 , 永島 福太郎/監修 , 井口‖海仙 , 末‖宗広 , 永島‖福太郎. 原色茶道大辞典. 淡交社, 1980.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000054319-00 , ISBN 4473000893 -
国史大辞典編集委員会 , 国史大辞典編集委員会. 國史大辭典 第10巻. 吉川弘文館, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045838662-00 , ISBN 4642005102 -
増田靖弘 [ほか]編 , 増田, 靖弘, 1931-. 遊びの大事典. 東京書籍, 1989.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001992547-00 -
日本大百科全書 11 : ENCYCLOPEDIA NIPPONICA 2001. 小学館, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026876639-00 , ISBN 4095260114
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井口 海仙/監修 , 末 宗広/監修 , 永島 福太郎/監修 , 井口‖海仙 , 末‖宗広 , 永島‖福太郎. 原色茶道大辞典. 淡交社, 1980.
- キーワード
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- 茶道
- 闘茶
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000234543