本文へスキップします。
レファレンス協同データベース
    • 検索条件が入力されていません。
    • 検索キーワードは7単語以内で入力してください。
  • ヘルプ
  • ログイン
  • 検索条件が入力されていません。
  • 検索キーワードは7単語以内で入力してください。
  • 事業について

    • レファ協とは?
    • おすすめ!レファ協データ
    • 事業概要
    • 事業報告・統計
    • 事業フォーラム
    • 企画協力員について
    • サポーターについて
  • 関係者の方へ

    • 事業への参加
    • データの作成・公開
    • システムの使い方
    • レファ協活用術
    • 事業担当者研修会
    • 御礼状・企画協力員賞
  • 参考情報

    • コラム集
    • レファレンス関連情報
    • 刊行物・グッズ
  • レファ協トップページ
  • What's CRD(English)
  • 参加館一覧
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • @crd_tweet
現在位置
  • トップページ
  • 詳細検索
  • 検索結果一覧
  • レファレンス事例詳細
レファレンス協同データベース

レファレンス事例詳細

  • 前のデータへ
  • 次のデータへ
事例作成日
登録日時
2021/05/21 17:38
更新日時
2021/06/13 13:16
提供館
県立長野図書館 (2110021)
管理番号
県立長野-21-026
質問
北信濃の「兎狩り」「兎追い」について、毎年いつごろ、どのような形で行われていたか。「兎狩り」ではなく「兎追い」という表現で記述したものはあるか。また「兎追い」という表現はいつから用いられるようになったのか。
回答
「北信濃」という地域の呼称については、明確な規定を確認することができず、含まれる地域が一定ではないため、一般的に長野県を4つに分ける北信と呼ばれている地域について調査した。

『長野県史 民俗編 第4巻(2)北信』 長野県編 長野県史刊行会 1985 【N209/11-3/4-2】p.172-179に、長野県内北部にあたる北信地方における「狩猟」を聞き書きしたものに、兎狩りの項目がある。また、「うさぎ追い」と言っているものがいくつもある。北信地方の事例の概略として
    兎狩りはこれを生業としておこなったとする例もあるが、多くは青年団や学校行事としておこなっ
   たり、第二次世界大戦中はうさぎ皮の供出のため、また最近は植林地保護の名目によっておこなわれ
   ている。下水内郡栄村森では、使い古したスッペと呼ぶわらの履物や、木の枝に縄をつけたもの、わ
   らで作ったなべ敷状の輪などを空中に投げて風を切る音や影などが、たかが飛来して来たように威嚇
   する方法が以前おこなわれていた。
とある。p.175-からは、各調査地点での、兎狩りの手法や呼び方があげられている。

・『飯山市誌 歴史編 下』飯山市誌編纂専門委員会編 飯山市誌編纂委員会 1995【N211/48/2-2】p.746-747で触れている。文中では、「兎狩り」と言っている。
   高野辰之の『故郷』の歌の中に『兎追いしかの山…』ということばが出てくるが、以前は兎狩りはど
   この山村でもおこなわれていた楽しい年中行事の一つであった。大人はもちろん、子どもも興奮する
   行事で印象深いものであった
とあり、狩猟だけでなく年中行事的な面もあったことがうかがえる。雪の斜面を頂上に向かって兎を追い立てる方法が書かれている。
   
・『北信濃 小川村桐山の民俗』小川村教育委員会編・刊 1973【N382/54】p.83-84の「狩猟」に
    ブロックがあって、兎追いのときは、桐山・川手(下の土合)・川上(持京)の人たちと二〇人ぐ
   らいの仲間を組んでする。(-中略-)兎狩りは、ふつう二月十五日後にする。それ以前は、各自、鳥
   などを射っている。山の下から追い上げ、上の峰の方で銃を構えて待っていて撃つ。勢子になって下
   へ行く者は、銃を背負いこんで、ホーイ、ホーイと追う。(-後略-)
とあり、兎の逃げ方や、兎追いをするときのスカリやカンジキなどの履物についての記述もある。兎追いと兎狩りの表現を使い分けているが、文章中では、手法の違いについては書かれていない。

・『木島平村誌』木島平村誌刊行会編・刊 1980【N213/58】p.1263
    山兎狩りをするとき、気のあったムラの人達で、数名の鉄砲ぶち(撃)の人を頼んで来てやったも
   のだった。
とあり、山頂へ向かって追い上げていく手法が書かれている。
・『栄村東部谷の民俗』埼玉大学文化人類学研究会 1992【N382/87】
    狩猟としての狩りの様子が書かれていました。p.274-275(北野),378(極野)
・『山と猟師と焼畑の谷』山田亀太郎述 白日社 1983【N382/65】 p.228-229
    鍋敷きのようなワダラでウサギをとる手法が書かれています。
・『須坂市誌 第2巻 地誌・民俗編』須坂市誌編さん室編 須坂市 2014【N214/119/2】p.474
また、上記の兎追いの後に、ククリワナ罠で獲ったなどの記述があるものもあり。

<兎追い>
『長野県史 民俗編 第4巻(2)北信』(前述)p.172-179で「兎追い」と言っている地域は、次のとおり。 
 飯山市小境
 中野市北永江
 上水内郡小川村 
 長野市信更町
 長野市信州新町
 長野市大岡村
 長野市松代・『柳原村誌』江口善次ほか編 飯山市公民館柳原分館 1970【N211/21】p.505
    春近くなって雪が凍って堅くなると山野を自由にかけまわる凍み渡り、兎追い、橇乗り等が最も楽
   しい遊びであった。
とある。手法についての記載はない。類似の記載があるものは、
  『外様村史』江口善次著 飯山市公民館外様支館 1957【N211/11】p.438
  『秋津村誌』江口善次著 飯山市公民館秋津分館 1966【N211/18】p.447
  『豊田村誌』江口善次ほか編 豊田村誌刊行会 1963【N211/19】p.515-516
  『豊田村誌』江口善次ほか編 豊田村誌刊行会 1963【N211/19】p.515-516

・『村史ときわ』宝月圭吾ほか編 常盤村史刊行会 1968【N211/20】p.948-950の「生活の近代化」の食物に、
    昔の人は仏教思想の影響もあったろうが、むしろ嫌っていた。明治の初めごろまでは、四つ足(家
   畜のこと)を食った者は罰が当たる、と言って家に入れなかった。しかし、昔は、猪・鹿・兎・むじ
   な・雉・山鳥等野生のものが沢山居たので、銃や、わなを使ったり、手捕りにして威勢に任せて食っ
   た若い者もあったが、一般は殺生を嫌っていた。
とあります。「兎追い」そのものの発生についての記述ではないが、参考になると思われる。
調査資料中には、「兎追い」という表現がいつから使われていたかについて、記述したものは確認できなかった。
    
・『豊野町誌 3』 豊野町誌刊行委員会編 豊野町誌刊行委員会 1998【N212/18a/3】p.74
    小鳥とともによく捕まえた動物に、ウサギがあった。とくに子どもたちが大勢で出かけ、ウサギオ
   イがおこなわれていた。    
とあるが、これ以外の手法等の記述はない。

<家畜としての兎>
・『戸倉町誌 第1巻 民俗編』戸倉町誌編纂委員会編 戸倉町誌刊行会 1991【N216/51/1-2】p.103-104
・『小川村誌』小川村誌編纂委員会編 小川村 1975【N212/121】p.1012
・『山ノ内町誌』山ノ内町誌刊行会編 山ノ内町 1973【N213/40】p.1136
回答プロセス
1 「うさぎ追」「ウサギ追」「兎追」などの表記が考えられるので、それぞれで自館の蔵書を検索する。また「狩猟」もキーワードとする。
 佐藤信之著「秋山郷における狩猟民俗の洞窟利用について 「朝日のリュウ」の調査を中心として」
   『津南学 vol.3(2014)』津南町教育委員会編 ほおずき書籍 2014【N250/44/3】 p.170-181
 石澤貴司、林幸大著「秋山郷の狩猟民具」
   『津南学 vol.4(2015)』津南町教育委員会編 ほおずき書籍 2015【N250/44/4】p.161-191

2 長野県市町村史誌等目次情報データベースで、地域を長野県の北部に絞って「狩猟」「うさぎ追」「ウサギ追」「兎追」で検索する。該当した史誌を調べていく。

3 レファレンス協同データベースに過去に当館が回答した全県を対象としている類似のもの(県立長野-15-018)があり、調査対象を確認する。

3 調査過程で、「うさぎ追い」は狩猟というよりも、年中行事的な側面もあることがわかってきたので、冬から早春にかけての行事でも調査をする。


<調査資料>
・『中野市誌 歴史編(前編)』中野市誌編纂委員会 中野市 1981【N213/59/2】
・『中野市誌 歴史編(後編)』中野市誌編纂委員会 中野市 1981【N213/59/3】
・『小布施町史』小布施町編 小布施町史刊行会 1975【N214/40】
・『新編 瑞穂村誌』新編瑞穂村誌刊行会編・刊 1980【N211/34】
・『豊田村史 現代編』豊田村史編纂委員会 2005【N211/72】
・『飯山町誌』飯山市公民館編・刊 1955【N211/10】
・『栄村史 水内編』栄村史水内編編集委員会編 栄村 1960【N211/13/1】
・『太田村史』江口善次著 太田村史刊行会 1954【N211/12】
・『長野市誌 第10巻民俗編』長野市誌編さん委員会編 長野市 1998【N212/318/10】
・『図説・北信濃の歴史』上・下 相沢篤信ほか著 郷土出版社 1995【N210/21】
・『須坂・中野・飯山の歴史』しなのき書房 2012【215.2/スザ】
・『北信濃さかえ風土記』半藤義英著 渓声出版 2011【N382/132】
・『ふるさと山村のくらし』豊田村教育委員会 1996【N383/23】
・『子どもに語った北信濃の歴史』湯本豊佐太著 信濃教育会出版部 1996【N210/23】
・『信州いいやま暮らしの風土記』飯山市社会福祉協議会編・刊 2010【N382/129】
・『飯山小菅の地域文化 小菅シンポジウム』
    信州大学・飯山市小菅研究グループ編 しなのき書房 2005【291.52/シン】
・『ふるさと飯山 語り部の語る』飯山市有線放送 農業協同組合編 ほおずき書籍 1985【N211/42】
・『定本山村を歩く』岡田喜秋著 山と溪谷社 2016【291.09/オキ】
事前調査事項
NDC
  • 狩猟 (659 10版)
  • 衣食住の習俗 (383 10版)
  • 中部地方 (215 10版)
参考資料
  • 長野県/編 , 長野県 , 長野県. 長野県史 民俗編 第4巻(2)北信地方. 長野県史刊行会.
    https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059103917-00
      (【N209/11-3/4-2】p.172-179)
  • 飯山市誌編纂専門委員会/編 , 飯山市誌編纂専門委員会. 飯山市誌 歴史編 下. 飯山市誌編纂委員会, 1995-01.
    https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058965426-00
      (【N211/48/2-2】p.746-747)
  • 小川村教育委員会/編 , 小川村教育委員会 , 小川村教育委員会. 北信濃 小川村桐山の民俗. 小川村教育委員会, 1973-04.
    https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059197054-00
      (【N382/54】p.83-84)
キーワード
  • 狩猟
  • うさぎ追い
  • 兎狩り
  • 共同狩猟
  • 信州学
照会先
寄与者
備考
調査種別
事実調査
内容種別
郷土
質問者区分
社会人
登録番号
1000298555
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000298555 コピーしました。
アクセス数 6066
拍手! 1
  • Xでポストする
  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る
  • はてなブックマークに登録する
  • メールで送る
  • 前のデータへ
  • 次のデータへ
◀検索結果一覧へ戻る
  • レファ協トップページ
  • What's CRD(English)
  • 参加館一覧
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • @crd_tweet
  • 事業について
  • レファ協とは?
  • おすすめ!レファ協データ
  • 事業概要
  • 事業報告・統計
  • 事業フォーラム
  • 企画協力員について
  • サポーターについて
  • 関係者の方へ
  • 事業への参加
  • データの作成・公開
  • システムの使い方
  • レファ協活用術
  • 事業担当者研修会
  • 御礼状・企画協力員賞
  • 参考情報
  • コラム集
  • レファレンス関連情報
  • 刊行物・グッズ
  • 国立国会図書館ホームページ
  • 国立国会図書館サーチ
  • リサーチ・ナビ
Copyright © 2024- National Diet Library. All Rights Reserved.
ページの先頭へ