レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年06月21日
- 登録日時
- 2023/09/20 13:18
- 更新日時
- 2023/09/22 11:41
- 管理番号
- 000011063
- 質問
-
解決
山口好生堂について以下のことが知りたい。
1.開設年月(萩から移転した年月)
2.教師名
3.講義名と教科書名
4.山口好生堂に病院が併設された年月
5.山口好生堂が山口県立山口病院に名称変更された年月
- 回答
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1.開設年月(萩から移転した年月)について
下記資料1『山口市史』p651によると、好生堂は慶応2年9月に、山口大殿大路竜福寺境内に、諸隊のため設けられていた山口病院に付設合併されることになったとある。
資料2『防長医学史』上p78にも同様の記述あり。
『防長医学史』は国立国会図書館が電子化して、ウェブサイト“国立国会図書館デジタルコレクション”に収録あり。(図書館・個人送信限定)
『防長医学史 上巻』(田中助一 著 防長医学史刊行後援会 1951) 55コマ目
https://dl.ndl.go.jp/pid/1375269/1/55
2.教師名について
資料1『山口市史』p651に、“教授には当時山口病院統管であった竹田祐伯をはじめ、坪井信友・日野宗春等が当たり、後には李家修謙・蔵田泰純等も担当した”とある。
資料2『防長医学史』上p79-88に山口好生堂の関連記述があり、教諭についても書かれている。参考までに、山口に移った慶応2年の部分に確認できた教諭に関する記述は以下のとおり。
“藩医坪井信道(2代目、江戸に生れ、はじめ信友と称し、のち父の名を名乗り、山口に来る)は医業録所病院相談役を免ぜられ、好生堂教諭兼病院総管を命ぜられた。さうして山口病院総管日野宗春が好生堂助教に、山口病院副督内山成庵が助教として都講の用を処理することを命ぜられた。また中村宗立と松永省吾とが病院家計方となった。”
“12月15日に氷山真光院の家臣松永周甫が一代藩医に取りたてられ、二人扶持をあたへられ、本草生育方頭取に任ぜられた。”
3.講義名と教科書名について
資料3『日本教育史資料 二』p754-755に「好生堂科目」の項あり。医経、経方、訳書、原書の科目が挙げられており、簡単な解説がそれぞれ付されている。
また、「諸科」の項には本草科、産科、唖科とあり、「専門」の項には鍼治科、口中科、眼科、外科とある。
ただし、使用された医学書や教科書と思われる書名は掲載されていない。
『日本教育史資料 二』は“国立国会図書館デジタルコレクション”に収録されており、どなたでも閲覧可能。
『日本教育史資料 貳 再版』(文部省[総務局 編] 富山房 明治23) 384コマ目
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751344/1/384
資料2『防長医学史』上p84-85に掲載されている明治元年12月の規則書には「学科序目」の項に以下のようにある。
“1等 翻訳 内外治療学 薬剤学並繃帯術
2等 病理学 人身窮理学 解剖学
3等 舎密学 究理学
4等 文典後篇会読
5等 同 前篇会読
6等 同 素読”
また、藩校明倫館の蔵書に関する資料として資料4~7があるが、各蔵書が教科書であるかどうかの判断は難しく、山口好生堂で使用されたものであったかも不明。
4.山口好生堂に病院が併設された年月について
上記1の回答のとおり、資料1『山口市史』p651、資料2『防長医学史』上p78によると、好生堂は慶応2年9月山口に移った際に山口病院に付設合併されることになったとあり、山口に移転した当時から病院併設であったようである。
5.山口好生堂が山口県立山口病院に名称変更された年月について
山口県立山口病院と名称変更された時期は不明。また、資料によって「山口病院」や「山口医院」と記載されており、名称に差異がある。
資料1『山口市史』p652に、明治2年(1869)山口病院と改称したとある。ただし、県立病院という位置付けであったかは不明。
資料8『山口大学医学部創立50周年記念誌』p37に、“1874年には県立山口病院(旧「好生堂」)が山口から三田尻に移され県立華浦医学校となった”とあり、三田尻に移転した1874年には県立病院であったという内容が確認できる。
資料9『山口県医師会史 第1巻』p5に、“山口に移された好生堂はしばらく病院に合併せられ、のちに医院と改称”とある。
『山口県医師会史』は“国立国会図書館デジタルコレクション”に収録されている。(図書館・個人送信限定)
『山口県医師会史』(山口県医師会 1964) 33コマ目
https://dl.ndl.go.jp/pid/1380480/1/33
なお、その後の好生堂については『山口市史』p652に以下のようにあり。
“三田尻に移った華浦医学校は、その後一時私立となったが、明治13年再び県立医学校として復活、さらに16年8月に至り山口病院(現在の山口赤十字病院)の付属とされて山口に移転したが、文部省の医学校通則に適合困難となったため、同年12月に廃校した。”
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 9版)
- 医学 (490 9版)
- 参考資料
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1.山口市. 山口市史. 山口市, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001607472-00 (p651-652) -
2.田中助一 著 , 田中, 助一, 1911-1999. 防長医学史. 聚海書林, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001701409-00 , ISBN 4915521230 (上p78、79-88) - 3.文部省. 日本教育史資料 二 再版. 冨山房, 1903.12. (p754-755)
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4.長門国萩明倫館書庫目録. 1911.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060482970-00 -
5.蘒永秀夫 編 , 蘒永, 秀夫. 明倫館・山口明倫館・越氏塾旧蔵和漢書目録. 山口大学附属図書館, 1989.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001979405-00 -
6.山口大学人文学部漢籍調査班 編集 , 山口大学人文学部漢籍調査班. 明倫館漢籍・準漢籍分類目録 : 附明倫館御蔵書目録根帳写 完. 山口大学人文学部漢籍調査班, 1989.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060505533-00 -
7.[ハギ]永秀夫 著 , 蘒永, 秀夫. 萩藩明倫館の洋学. [ハギ]永秀夫, 2007.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008460547-00 -
8.山口大学医学部創立50周年記念誌部門委員会 編 , 山口大学. 山口大学医学部創立50周年記念誌. 山口大学医学部創立50周年記念事業会, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002453183-00 (p37) -
9.山口県医師会 編纂 , 山口県医師会. 山口県医師会史 第1巻. 山口県医師会, 1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001748164-00 (p5)
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1.山口市. 山口市史. 山口市, 1982.
- キーワード
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- 医学--山口県--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000338876