レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2026/03/19 00:30
- 更新日時
- 2026/04/22 13:49
- 提供館
- 飛騨市図書館 (2300163)
- 管理番号
- Hida-14
- 質問
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解決
松尾白山神社(飛騨市古川町数河地区)の獅子舞、いわゆる数河獅子について知りたい。
新羅の僧侶「行心(こうじん)」の息子「隆観(りゅうかん)」が伝えたとされるが、本当か。
- 回答
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結論として隆観という僧が創作したという伝承は残っているが、それが真実であるという裏付けとなるような資料は見つけられなかった。また、異説も存在するようである。
『飛騨の神社』 土田吉左衛門/編 飛騨神職会(昭和62年11月3日) p618
→社伝によれば「数河村の開拓人である新十郎という人が、松尾という山の上に斎祀を始めた。また、神輿の巡幸や獅子舞も新十郎の家が始めた。」とある。
『飛騨の歴史再発見 第15号』 長瀬公昭,兀下義博/編 エイ・スペック飛騨(令和2年4月15日) p104
→大宝年間新羅の僧隆観がシシの様子を見て、高麗の芸能を獅子舞にして後世に伝えたのが数河獅子とされる。ただし、隆観は実在した人物であり、飛騨国に送られたと『日本書紀』にあるが、飛騨のどこに住んでいたかは不明であり、数河に住んでいたという記録はない。(参考:「飛騨市のまつり歴」)
「飛騨市のまつり歴」(パンフレット)飛騨市観光協会/作
→獅子舞の起源は定かではない。古伝によれば大宝年間新羅の僧隆観がこの地に住んでいた時、獅子が面白く狂っている様を見て高麗の芸術を獅子舞にして後世に残したものと言い伝えられ、「高麗獅子」ともいわれる。
『祭礼行事・岐阜県』 高橋秀雄,片桐芳一/編 桜楓社(平成4年3月10日) p131
→伝承では、大宝2年に駿馬を献じたという新羅の僧隆観が寺院を建設した折、山中の獅子の姿を見てこの舞を創作したという。また、これらの伝承から数河獅子を高麗獅子ともよぶ。
『日本の祭り文化事典』 星野紘,芳賀日出男/監修 東京書籍(平成18年7月13日) p419
→伝承では、奈良時代に新羅の僧がこの地において、山中の獅子の姿を見てこの舞を創作したと伝えられる。また、中世に起こったとの説もあるが、この種の獅子舞は江戸時代に飛騨各地で流行しており、神輿渡御の前の神前における悪魔祓いの性格が強くみられる。(参考文献:「岐阜県無形民俗資料記録作成報告書 第3輯」「祭礼行事・岐阜県」)
『斐太紀 研究紀要 通巻23号』 飛騨学の会(2019年12月31日) p206
→「日本の祭り文化事典」「飛騨市まつり歴」などによれば、新羅の僧隆観が伝えたとされるが、信頼性は薄い。また、神岡山田の住民から「数河に獅子舞を教えた」という話があり、数河の住民に聞いたところ「小谷から伝わった獅子だったが、山田から習ったという話もある」との話があった。神岡町山田津島神社に取材したところ、数河へ教えたと伝わるとのことであった。一度途絶えた獅子舞を神岡町山田から習い復活させたのが、現在の数河獅子であるとおもわれる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 10版)
- 芸術史.美術史 (702 10版)
- 大衆演芸 (779 10版)
- 参考資料
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『飛騨の神社』 (L175.9 ヒ) 土田吉左衛門/編 飛騨神職会 1987
『飛騨の歴史再発見 第15号』 (L215.3 ヒ) 長瀬公昭,兀下義博/編 エイ・スペック飛騨 2020
『祭礼行事 岐阜県 都道府県別』 (L386.1 サ) 高橋秀雄,片桐芳一/編 桜楓社 1992
『日本の祭り文化事典』 (R386.1 ニ) 星野紘,芳賀日出男/監修 東京書籍 2006
『斐太紀 研究紀要 令和元年 秋季号 通巻23号』 (L382.1 ヒ) 飛騨学の会 2019
「飛騨市のまつり歴」(パンフレット) 飛騨市観光協会/作 ※資料未登録
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『飛騨の神社』 (L175.9 ヒ) 土田吉左衛門/編 飛騨神職会 1987
- キーワード
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- 岐阜県‐‐飛騨市‐‐古川町
- 数河
- 数河獅子
- 獅子舞
- 隆観
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 「飛騨市のまつり歴」は昔のパンフレットのため実物がなく、PDFデータとして残っていたものを参照した。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000381996