レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/06/03
- 登録日時
- 2023/10/18 00:30
- 更新日時
- 2023/10/27 10:03
- 管理番号
- 牛久-1860
- 質問
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解決
三日月橋公民館の近くにある「三日月橋」の名前はどうして付けられたのか知りたい。また、三日月橋について分かる資料はないか。
- 回答
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三日月橋という名は、新地町からは山があるため三日月が見えず、橋まで来ると三日月が見られたことから付けられた。
○次の資料を紹介する。※()内数字は回答プロセスの資料番号。
(1)『わが茨城 110号』(海老沢勝二/茨城県人会連合会/2013.9)…p16
○追加調査で次の資料にも確認。
(4)『城中・新地、上町・下町の民俗』(牛久市史編さん委員会民俗部会編集/牛久市/1993)…p92-93
(5)「DVD版 茨城新聞年鑑2007 1月1日付~12月31日付」(茨城新聞社)
…「茨城新聞 2007年(平成19年)9月4日」p5「いばらき100名橋」に「三日月橋(みかづきばし)牛久市」あり。
- 回答プロセス
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1. フリーワードに「三日月橋」で自館資料検索。
(1)『わが茨城 110号』(海老沢勝二/茨城県人会連合会/2013.9)
…p16「いばらきの名橋』の「三日月橋(牛久市)の項に、「三日月橋という名は、山に沿う新地町からは上弦の月(三日月)が見えず、橋まで来て三日月が見られたことから付けられた(2007年9月4日付茨城新聞)」と記載あり。三日月橋の写真と簡易な地図あり。三日月橋について「牛久沼に流れ込む稲荷川の最下流に架かり、牛久市新地町と同市庄兵衛新新田町を結ぶ。橋長112メートル、幅員は6メートル、プレストレスト・コンクリート(PC)を使用した鋼単純H桁。稲荷川改修に伴い、1973(昭和48)年に完成した」とあり。
→次の資料には「三日月橋」の名前の由来の記載なし。
(2)『うしく歴史散歩』(木村有見/筑波書林/1995.11)
(3)『牛久市立三日月橋公民館沿革誌』(牛久市立三日月橋公民館編集/牛久市立三日月橋公民館/2004.3)
→以上より(1)の資料を紹介して終了。
2. 追加調査で他司書より伺う。牛久市の民俗調査資料にあるのではと考え、郷土資料の棚をブラウジングし次の資料を確認。
(4)『城中・新地、上町・下町の民俗』(牛久市史編さん委員会民俗部会編集/牛久市/1993)
…索引(城中・新地地区)のp7の「三日月橋」の項に、14、54、92、93とあり。
…p51に「土地改良以前の三日月橋」の写真あり。
…p92-93「第五章 新地・城中の信仰生活 徳丸亞木」の「第一節 ムラ境と神仏」の項、p92の上段に「城中から稲荷川を超えて新地に入る三日月橋を嫁入り行列が超えてしまうと、旧暦の三日月はヤマに遮られてもう拝めなくなる」とあり。
…p93の上段に「『三日月橋』の名称にも、この橋を渡ると旧暦三月の三日月すら見られなくなるという、橋を一つの境とする意識がこめられている」と記載あり。
3. (1)の出典である当館所蔵のDVD版茨城新聞を確認。
(5)「DVD版 茨城新聞年鑑2007 1月1日付~12月31日付」(茨城新聞社)
…「茨城新聞 2007年(平成19年)9月4日」p5「いばらき100名橋」に「三日月橋(みかづきばし)牛久市」あり。
→追加調査で(4)(5)の資料にも確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 風俗史.民俗誌.民族誌 (382 10版)
- 参考資料
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- B10669189 わが茨城 110号 海老沢 勝二 茨城県人会連合会 2013.9 291.31
- B10977602 城中・新地、上町・下町の民俗 牛久市史編さん委員会民俗部会/編集 牛久市 1993 382.131
- キーワード
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- 三日月橋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000339899