レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年6月23日
- 登録日時
- 2015/07/06 00:30
- 更新日時
- 2024/10/30 18:49
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-79
- 質問
-
解決
京都市街にある防空壕について知りたい。
- 回答
-
防空壕は、防空待避所とも言われ、爆弾の爆風や破片などから身を守るための施設で、防火活動の為に一時的に避難するための施設であるともされていました。【資料12、14】
京都市が昭和16年(1941)に発行した『家庭防空指針』では、各家庭に防空壕を作ることを奨励していましたが、昭和20年(1945)1月16日の東山・馬町空襲や同年6月26日の西陣空襲をはじめとする空襲があり、大きな被害が出ると、都市部では多くの家庭で床下や空き地に防空壕が作られました。【資料2、3、15】
大きさは1m四方の縦穴や、縦3.5m×横2m×深さ2mのレンガを積んでモルタルで仕上げたもの、6畳くらいの地下室、もともとあった地下室を転用したものなど様々でした。【資料9、11~13】
京都市中京区にある市の有形文化財「秦家住宅」でも防空壕が作られ、戦後は薬瓶の保管場所になっていました。【資料10】
また、東山区にある河井寛次郎の旧居跡、河井寛次郎記念館では現在も床下の防空壕が保存されています。【資料8】
その他にも防空壕が残っている町家も多く存在するようで、現在、調査が進められています。【資料11、13】
防空壕には、小規模なものもあれば、町内会や隣組で公園や寺の境内に作られた数十名程度収容できる比較的大きなものもありました。大規模なものとして、右京区音戸山の山裾に砥石を採取するために掘られた約1kmの坑道跡を利用したものもありました。【資料1】
また、東山区今熊野地蔵山の地下に府庁を移転させるために大型の防空壕が掘られました。現在入り口は閉ざされ、内部は空洞で残されています。市役所は東山区蹴上の都ホテル(当時)の横と蛇が谷(現在の京都市西京区)にあった絵画専門学校(京都市芸術大学の前身)の隣に大型防空壕を掘って移転させる計画でした。【資料4】
- 回答プロセス
-
●京都に関する防空、太平洋戦争、空襲の資料から【資料1】~【資料8】
【資料1】p87 右京区音戸山の大型防空壕について記載あり。
【資料4】p62 “府庁の疎開予定壕など”
【資料8】河井寛次郎の旧邸について。馬町空襲(1945年(昭和20)1月16日)の日記が引用されている。
●過去の新聞記事を調べる。
オンラインデータベース「朝日新聞クロスサーチ」(朝日新聞)、「Gサーチ」(京都新聞)で“京都×防空壕”などをキーワードに検索。【資料9】~【資料13】(最終確認日:2024年7月17日)
【資料9】“防空壕 町家床下で発見”
【資料10】“戦時中に造られた防空壕は、後に薬瓶の保管場所になった。”
【資料11】“防空壕は各地で掘られ、今もひっそりと残っている”
【資料12】“防空壕は防火活動の為の一時待避する施設である 2畳くらいの広さで、3、4人しか入れなかった
6畳ほどの広さの地下室があった”
【資料13】“特に中京区や下京区など人家が密集していた地域で推奨されたとみられる。”
●京都の町家・民家の建築について当館所蔵の資料を調べるが、有用な情報なし。
●CiNii(http://ci.nii.ac.jp/)で“京都×防空壕”などをキーワードに調べるが、有用な情報なし。
●国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)で“町家×京都×防空壕、民家×京都×防空壕”などを キーワードに検索。【資料14】(最終確認日:2024年7月17日)
●GoogleBooks(https://books.google.co.jp/)で“町家×京都×防空壕”などをキーワードに検索するが、有用な情報 なし。
●京都市情報館サイト内検索“防空壕”で『上京区120周年記念誌』【資料15】に掲載があることがわかる。
https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000029008.html
【資料15】p155“どこの家にも防空壕があった時代です”
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- 戦争.戦略.戦術 (391 9版)
- 参考資料
-
- 【資料1】『建物疎開と都市防空 「非戦災都市」京都の戦中・戦後』(川口 朋子/著 京都大学学術出版会 2014)p85~87 “5-5 京都空襲と市民の防空意識”
- 【資料2】『防空関係法規集』(京都市防衛部防護課/編集 京都市役所 1943)p119~124“〇自衛防空 京都市家庭防空要務規程(京都市告示)”
- 【資料3】『家庭防空指針』(京都市防衛部防護課/編 京都市役所 1941)p25“第四章 防空実施及準備”
- 【資料4】『京都の「戦争遺跡」をめぐる【新装版】』(池田 一郎/著、鈴木 哲也/著 機関紙共同出版 1996)p62“府庁の疎開予定壕など”
- 【資料5】『語りつぐ京都の戦争と平和』(戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会/編 つむぎ出版 2010)p211~245“8章京都府の空襲”
- 【資料6】『かくされた空襲と原爆』(小林 啓治/著,鈴木 哲也/著 機関紙共同出版 1993)p29~30“「逃げずに消せ」”p53~58“血にまみれた西陣”
- 【資料7】『語り伝える京都の戦争 2』(久津間 保治/著 かもがわ出版 1996)p101~107“第3章 西陣空襲”
- 【資料8】『戦争のなかの京都』(中西 宏次/著 岩波書店 2009)p134、p138~143“5.空襲があった 馬町空襲”
- 【資料9】「防空壕町家床下で発見 西陣空襲の歴史遺産、カフェに活用検討 上京 れんが、モルタル頑丈」(2011.8.16 京都新聞 朝刊p21)
- 【資料10】「建築探検 秦家住宅(下京区) 屋根看板 商家の名残」(2008.11.5 朝日新聞 朝刊p27)
- 【資料11】「次代へ 戦跡は語る 6 京に空襲「他言無用」 軍が情報統制「破った者は厳罰に」 今こそ「知る」大切さ」(2014.8.15 朝日新聞 朝刊p22)
- 【資料12】「銃後の痕跡 京のまちに今も ① 防空壕 しゃれた町家の地下に」(2014.8.12 京都新聞 朝刊p22)
- 【資料13】「戦後七十年 京の防空壕 記録に 京大研究員・建築士ら調査 全体像不明 町家に眠る遺構 情報を」(2015.5.11 京都新聞 朝刊p22)
- 【資料14】『セメント界彙報 (10月號)(403)』(セメント界彙報発行所 1941) 永続的識別子:info:ndljp/pid/1567833 コマ番号10~11“防空壕の築造要旨”
- 【資料15】『上京区120周年記念誌』(上京区120周年記念事業委員会/編集 上京区120周年記念事業委員会 2000)p155“滋野小学校 小学校で防空演習”
- キーワード
-
- 防空壕
- 太平洋戦争
- 防空
- 町家
- 空襲
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000176824