レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年06月25日
- 登録日時
- 2022/12/10 16:42
- 更新日時
- 2023/01/24 09:51
- 管理番号
- 遠野-2005-10
- 質問
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解決
小友町(遠野市)に沼はあるか。またその沼は小友の地名の由来になった伝承があるか。
- 回答
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[地名の由来]
村名の起源は、現代夷語の「最なる所」を意味する「オットモ」に近い古語の「奥友」を称していたが、正保年間前後に「小友」に代用されたとある。
[沼の伝承]
物見山の頂上付近や小友の金森のあたりに沼があったが涸れてしまい、その池の址を今沼平(沼の平)と呼んでいて、遠野物語の「池端の石臼」の話とかかわりがある。
上記のことから、遠野物語の「池端の石臼」の伝承に関わりがある沼はあったが、小友の地名の由来となった沼の伝承は見当たらない。
- 回答プロセス
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<所蔵資料からの調査>
<地名の由来>
「小友村郷土教育資料」P13より
本村ハ古ク奥友ト称セシガ蓋シ現代夷語ニテ「最ナル處」ヲイミスル「オツトモ」ニ近キ古語ニ類推ス、ソレガ小友ノ文字ヲ代用セラレシハ正保年間前後ノ頃ヨリシテ倶ニ其音譯ナルニ幾シ。とある。
<沼の伝承>
「とおの小友探訪」p54より
物見山は一名長富士と称す。昔は鬱蒼たる桂林なり山頂に近く麻神の叢祠あり、長富士権現と言う。社の東方に沼ありしが、水涸れその跡草原となり沼の平と呼ぶ。これ即ち遠野の民、池の端孫四郎の祖先が沼の女神より宝碾を恵まれたりとの伝説の根元地なり。とある。
「遠野物語」(大和書房 1972)p76 第27話(池端の石臼)より
遠野の町の中にて今は池の端と云ふ家の先代の主人、(中略)遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、(後略)
とあり物見山の中腹に沼があることがわかる。
「注釈遠野物語」p124~p125の「池端の石臼」の注釈4物見山の中腹にある沼の項より
(前略)『遠野くさぐさ』の「池端孫四郎の事」はこの話と同じく神女から黄金の小粒を出す石臼を貰うのであるが、その中には、「或る日、物見山に登りて池(物見の池に就きて、昔は大物見の頂上近き北の凹地に在りしが、水涸れて第二の池を小友の金森に湧出す。次でこの水涸れて第三の池を小物見に湧出す。斯くて前の二所の池址を今沼平と呼ぶ。孫四郎の出来事は、大物見の池にての談なりと伝ふ)の畔に」とある。(後略)
とあり、遠野物語の「池端の石臼」の伝承と関係があることがわかる。
「とおの小友探訪」p22不動巌の項より
巌龍神社の背後にあり、(中略)その巌根に泉地あり清水滾々として湧き出る。とある。
上記のことから、小友に沼または泉はあったが、沼とかかわりがある小友の地名の由来となった伝承は見当たらない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝説.民話[昔話] (388 8版)
- 東北地方 (212 8版)
- 参考資料
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小友町探訪会 編集 , 小友町探訪会. とおの小友探訪 : 「小友町勝蹟志」増補版. 小友町地域づくり連絡協議会, 1999.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036149994-00 -
柳田国男 著 , 柳田, 国男, 1875-1962. 遠野物語. 大和書房, 1972.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001219185-00 -
後藤総一郎 監修 , 遠野常民大学 編著 , 後藤, 総一郎, 1933-2003 , 遠野常民大学. 注釈遠野物語. 筑摩書房, 1997.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002628132-00 , ISBN 4480857540 - 小友尋常高等小学校 編, 長野尋常小学校 編. 小友村郷土教育資料. 小友尋常高等小学校, 長野尋常小学校, 1940.
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小友町探訪会 編集 , 小友町探訪会. とおの小友探訪 : 「小友町勝蹟志」増補版. 小友町地域づくり連絡協議会, 1999.
- キーワード
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- 遠野物語
- 遠野市--歴史
- 遠野市--地誌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000325333