レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/06/12
- 登録日時
- 2017/07/22 00:30
- 更新日時
- 2017/07/25 10:39
- 管理番号
- 所沢本-2017-012
- 質問
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解決
木曾の御嶽山の信仰について知りたい。
- 回答
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以下の資料に、木曾御嶽や修験道についての記載があります。
〇『日本歴史地名大系 20 』 平凡社 1979年
〇『日本を知る事典』 大島建彦/[ほか]編 社会思想社 1980年
〇『山岳宗教史研究叢書 9』 名著出版 1978年
〇『日本の霊山読み解き事典』西海賢二/編 柏書房 2014年
- 回答プロセス
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1 所蔵資料の内容確認
〇『日本歴史地名大系 20 』 平凡社 1979年
P524~525「御嶽」の項に「御嶽が修験の地方道場として栄えたのは鎌倉時代までであって、しだいに衰退し、その後室町時代の中頃になって修験道と民間信仰とが結びついた、御嶽独自の信仰が生まれ、厳しい精進潔斎を経た、山麓周辺の道者とよばれる人々が毎年夏に一回集団的に登拝する風習が盛んに行われるようになった(以下略)」との記述があり。
〇『 日本を知る事典』 大島建彦/[ほか]編 社会思想社 1980年
P577「修験道」の項に「修験道は日本固有の民俗宗教で、山岳崇拝を中心とするが奈良時代以前から仏教と結合して、発達し、隠然たる一宗教の観を呈した。(中略)ところが明治5年9月15日の太政官布達第273号で修験宗禁止令が発布され、明治以後の宗教活動ができなくなった。(中略)しかし、わずかにのこった吉野・熊野・羽黒等の修験は第二次世界大戦後の信教自由の波にのって、それぞれ独立宗派を名乗るようになった。(中略)木曾御嶽も木曾御嶽本教・御嶽教修正派・御嶽修験宗などが神道色の濃い修験道となっており、(以下略)」との記載あり。
2 後日調査による追加資料
〇『山岳宗教史研究叢書 9』 名著出版 1978年
以下の項に記載あり。
P136~166 御嶽信仰の成立と御岳講
P167~186 近世御嶽信仰の実態
P187~201 木曾御嶽の霊神碑
〇『日本の霊山読み解き事典』西海賢二/編 柏書房 2014年
P285~294 「御嶽山」の項に記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 風俗史.民俗誌.民族誌 (382 9版)
- 原始宗教.宗教民族学 (163 9版)
- 参考資料
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- 日本歴史地名大系 20 平凡社 1979.11 291.0189 4-582-49020-4
- 日本を知る事典 大島建彦/[ほか]編 社会思想社 1980 382.1 4-390-60098-2
- 山岳宗教史研究叢書 9 名著出版 1978 188.59
- 日本の霊山読み解き事典 西海賢二/編 柏書房 2014.8 163.1 978-4-7601-4408-2
- キーワード
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- 木曾
- 御嶽
- 修験道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000219136