レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2025/07/03
- 登録日時
- 2025/12/03 00:30
- 更新日時
- 2025/12/03 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-250153
- 質問
-
未解決
『柴田町史』資料篇1(pp.555-558)入間田氏系図に記載されていた「綾之亮直良」、「修理之介」について知りたい。
- 回答
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1 「綾之亮直良」について記載のあった資料は、以下のとおりです。
資料1 柴田町史編さん委員会 編『柴田町史』資料篇1, 柴田町, 1983【K213.3/シ4/1】
pp.555-558「第五章 近世1」-「一六三 入間田氏系図并先祖之覚書写」の項
入間田氏の家系図が示され、その後ろに「右書は仙臺藩一家格舟岡要害館主柴田氏の御一家筋家臣たりし入間田氏の家系図を纏めたる入間田綾之亮直良の系譜書、書き移したるもの也。尚直良は俳人にして守中庵一兮と号せりと。」と記載がありました。
資料2 菊田定郷 著『仙台人名大辞書』続「仙台人名辞書」刊行会, 1981【K280/キ1-2】
p.81「イッケー【一兮】」の項
「俳人。本名入間田綾之亮。柴田郡船岡の人、守中庵また梅垣と號す、五梅庵舎用の門、明治元年六月十三日歿す、享年三十八、船岡大光寺に葬る。句に曰く 黄昏るゝゆとりも見せて女郎花」
資料3 柴田町史編さん委員会 編『柴田町史』通史篇1, 柴田町, 1989【K213.3/シ4/4】
pp.955-956「第4編 柴田町の歴史」-「第8章 江戸時代」-「第五節 文化と教育」-「一 柴田町の古俳諧について」-「(一)郷土の旧俳人たち」の項
旧俳人の句の中に「坂下るはづみに立や笠の蝶 一兮」と記載されています。また、p.956に「柴田町の旧俳人で、その経歴がはっきりわかっている人は殆どないが、以上はおおよそ略歴の知れる人々である。船岡では(中略)医師入間田一兮(後略)」と記載があります。
前掲資料3, pp.969-971「第4編 柴田町の歴史」-「第8章 江戸時代」-「第五節 文化と教育」-「一 柴田町の古俳諧について」-「(五)保義、一兮、寿喜と仟兮」の項
「一兮は医師入間田綾之亮の俳名、別号を守中庵また梅垣と言い、明治元年六月十三日歿、墓は大光寺にあるというけれど、句碑をかねた追善碑が蓮華寺門前に建っている。一説に大河原の江三門とされるが、仙台の舎用門が正しいと信ずる。
坂下るはつみに立や笠の蝶(釣奇一覧前編)
朝かけや夏野に残るいふり炭(右山海集)
ひくらしや洗ふて立し鍬の照り(同)
寒月やいつこをはての漁師町(四季発句集)
明治二十七年に『守中庵一兮遺稿』が刊行されたので、一兮の全貌を概観することが出来よう。」
資料4 守中庵一兮 著 ; 五十嵐三省 編『守中菴一兮遺稿』活版, 1894, 19.9cm 1册
(『宮城県図書館和古書目録』4669【KM913/シ6】)
上記の資料については、代替資料としてマイクロフィルムを所蔵しています。
2 「修理之介」に関する記述は、上記の資料には見当たりませんでした。なお、質問の内容に関係がありそうな以下の資料を参考までに紹介しました。
(1)「修理之介」に関連する記載がないか、下記の人物についてお調べしました。
前掲資料2, p.51「イガラシ・モンスイ【五十嵐紋水】」の項
「醫。柴田郡船岡の人、産科病院を仙臺元寺小路に開き當時産科の名醫と稱せらる、明治二十四年六月二十三日歿す、享年六十九、仙臺石名坂圓福寺に葬る。」
前掲資料2, p.50「イガラシ・コースイ【五十嵐江水】」の項
「醫。紋水の子、産科専門醫として名あり、昭和六年五月五日歿す、享年八十四、仙臺石名坂圓福寺に葬る。」
前掲資料2, p.50「イガラシ・サンセー【五十嵐三省】」の項
「文學家。蕉陰居伴月と號す、産科醫五十嵐江水の子、(後略)」
上記の内容から、「五十嵐江水」は「五十嵐紋水」の子となりますが、「修理之介」と同一人物であるかは判断できませんでした。
(2)入間田家について下記の資料に記載がありました。
資料5 高橋安房「入間田氏について」柴田町郷土研究会『之波太 : 柴田町郷土研究会会報』22, 柴田町郷土研究会, 1993, p.26【PK213.3/シ】
「入間田家は柴田家にあって家中筆頭の地位にあった。この事は入間田氏がかつて柴田氏と同様、在地領主として入間田邑を支配していたからである。これが後の家老入間田求馬で、(中略)この入間田氏の子孫は医師で米沢におる。」
この後に、柴田家と入間田家が関係する家系について記載がありました。
前掲資料3, p.660「第4編 柴田町の歴史」-「第8章 江戸時代」-「第一節 柴田町を領知した人々」-「二 柴田氏」-「成義」の項
上記の資料5と関連する、柴田家と入間田家の家系について記載がありました。
前掲資料3, p.675「第4編 柴田町の歴史」-「第8章 江戸時代」-「第一節 柴田町を領知した人々」-「二 柴田氏」-「柴田家中の知行形態」の項
表8-5「柴田家中の知行形態」に「入間田求馬」の記載がありました。
3 下記の資料も確認しましたが、「綾之亮直良」「修理之介」に関する記載は見当たりませんでした。
資料6 柴田町史編さん委員会 編『柴田町史』通史篇2, 柴田町, 1992【K213.3/シ4/5】
資料7 柴田郡教育会 編『柴田郡誌』柴田郡教育会, 1925【K213/シ1】
資料8 蔵王町史編さん委員会 編『蔵王町史』通史編, 蔵王町, 1994【K211.1/サ1/4-1】
資料9 蔵王町史編さん委員会 編『蔵王町史』民俗生活編, 蔵王町, 1993【K211.1/サ1/3】
資料10 庄司一郎 編『船岡村誌』仙南日々新聞社, 1929【K213.3/シ3】
- 回答プロセス
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1 OPACで検索し、当館所蔵の関連資料を調査した。質問内容の出典資料を中心に、調査を行った。
2 「綾之亮直良」についての記述は確認できたが、「修理之介」の記述は見当たらなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 綾之亮直良, 入間田, 綾之亮, 入間田, 一兮(イルマダ, イッケイ), 入間田, 守中庵
- 修理之介
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000377404