略歴を記載した資料は見つかりませんでしたが、小林綱平の名が記された下記のような資料があります。
『村の歴史 通史編 香寺町史』香寺町史編集委員会/編 2011(p.344)には、文化11年(1814)1月、伊能忠敬の第八次測量隊の別隊が、溝口村の医師小林綱平宅に止宿したとの記述があります。
また、それに関連して、『文献で読む溝口の歴史』鎌谷博善ほか/著 2017(p.321)には、次のような記述があります。
〔補記 小林家について
西念寺境内墓地の入口北側に小林家の墓碑八基がある。この内の一基が医師小林綱平の墓碑であると云われている。現在の“大友電気水道設備”店のある場所(溝口1256-1)は、“小林屋敷”と呼ばれ、往時の生野街道沿いにあるので、伊能忠敬測量隊分隊一行はここに投宿したものと思われる。 また、『神崎郡誌』(202ページ)によると、江戸時代末期に溝口村の寺子屋の師匠に小林幸平氏が居た、と記されている。“小林屋敷”は“寺子屋跡”とも伝えられているので、小林医師は寺子屋の師匠も兼ねておられたのではないかと考えられる。〕
『姫路藩の人物群像』穂積勝次郎/著 1968(p.100)には、姫路藩の家老・河合寸翁が人材養成のために開設した仁寿山黌の医学寮において、手伝いとして日を定めて出仕させた医師30名の中に、小林綱平の名があります。
医学寮が活動を開始したのは、『姫路藩の人物群像』には、天保の頃とあります。
『仁寿山雑記』藤戸孝純/著 姫路市医師会 2006(p.56)には、「天保の医師」の中に仁寿山医学寮を手伝っていた医師の当番日割の表があり、小林綱平の名があります。ここでは、医学寮開設は天保10年(1839)としています。
また、関連して、同一人物かは不明ですが、
『兵庫県教育史 藩学・郷土学・私塾・寺子屋篇』 第一書房 1981 (p.259)に、中寺村全体を区域とした寺子屋の師匠として、小林幸平の名があります。