レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/04/18
- 登録日時
- 2024/10/24 00:30
- 更新日時
- 2024/10/24 10:27
- 管理番号
- 北方 24-0012
- 質問
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解決
「樺太」という地名について、カラフトであるのになぜ「樺」太と記述するのか。
「カバフト」と呼ぶ例もあるようだが、旧来あの場所は「カラフト」であり、カバフトは「樺」の文字に引きずられたと思われる。ならばなぜ「樺」という文字を採用したのか知りたい。
1869年(明治2年)に北海道と名称変更された折、外務大丞丸山作楽の進言により樺太となった、との記述を見受けたが、具体的な過程を知りたい。
●その質問の出典や情報源、調査済み事項など
閲覧済資料
・『南樺太』西村いわお著(1994年発行)
・『校訂蝦夷日誌二編』松浦武四郎・秋葉実編(1999年発行)
- 回答
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『日本歴史地名大系 1 北海道の地名』の「サハリン島」の項
→「古くから「からと島」もしくは「からふと島」とよんでおり、「唐太」という漢字を当てることがあったが、それはカラヒト(唐人)の訛音だろうという(北夷分界夜話)、「樺太」という当て字は明治2年(1869年)に蝦夷地探検家の松浦武四郎が与えたものである。」とある。
『大日本地名辞書 第8巻 増補版』の「樺太」の項
→「岡本氏(前開拓判官)樺太探検日記曰く、明治元年8月の比、予は松浦武四郎と(しばしば)論談したりしに、嘗、柯太の号を定むるに至り、松浦は樺太とせんと云ふ。」と2名の主張が分かれていたことが記述されている。
岡本氏は「柯は土人の旧名にして、作の義なり、太は大に間あらしむる也、此島元来南島(北海道)と同一なりしを、神の破りて二としたるよりして、此名ある由なれば、土人の旧名に用るに如かず」、松浦氏は「彼地に樺の大樹多きゆえに、樺太と曰ふ何かあらん」と主張した、とのこと。
『樺太沿革・行政史』の「樺太の名称」の章、「カラフトに関する当て字の変遷」によると
→「カラフトと記したものに元祿郷帳・蝦夷島物語・蝦夷志等がある。大体においてカラフトの名は古記録に多く見られる。これに漢字を当てたものには天明5・6両年樺太を探検した大石逸平の記録に哈喇士記がある。大体元祿年間頃から加良不止・加羅不登・穀太・嘉楽土・哈良敷登・哈喇土・加良布土等万葉仮名風の当字が多いが、江戸時代一般を通じ唐太の文字が多く用いられた。しかし露西亜人との交渉が多くなってからは、外國を意味する「カラ」の名を用うるをよろしからずとする者多く、文化6年以後北蝦夷と稱する事になった。幕末から明治にかけて又カラフトの名を称する者多く、柄太または柯太の文字が多く用いられた。明治元年頃から松浦武四郎は樺の樹の多いのに因んで樺太の文字を用うべしという説によって、明治2年後これに一定した。」とあり、さらにいくつかの説や呼ばれ方が紹介されているが、章末に「要するに、本島の名称は、その称呼・起源・当字等異説多岐ではあるが、明らかにカラフトであり、その起源は唐人説が最も妥当らしく名称の変遷から見て、カバフトと呼ぶのは誤っている」との記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 7版)
- 参考資料
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- 1 大日本地名辞書 第8巻 北海道・樺太・琉球・台湾 吉田東伍∥著 富山房 1970 291.03/Y p398~p403
- 2 日本歴史地名大系 1 北海道の地名 平凡社 2003.10 291.03/HO/イ p141~p142
- 3 樺太沿革・行政史 全国樺太連盟∥編 全国樺太連盟 1978.6 219.1/KA p314~p318
- キーワード
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- 樺太
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000358614